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酒治志神社
すじしじんじゃ
京都府船井郡京丹波町三ノ宮宮ノ本2
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京都府の京丹波町にある。
綾部駅の南東15Kmほどの三ノ宮に鎮座。
173号線(綾部海道)を進み、三ノ宮に入った場所で南へ下ると
小学校の西側に境内がある。
社前に川(質志川)が流れており、橋の奥に社域の森。
垣に囲まれた境内入口に石の鳥居が立ち、
鳥居扁額に「酒治志神社」の文字。
鳥居の左手に「郷社延喜式内酒治志神社」と刻まれた社号標が立っている。
鳥居をくぐり、砂利の境内に入ると中央に拝殿。
拝殿の後方、数段の階段の上に向拝の突き出した流造の本殿が鎮座している。
社号の「酒治志神社」は、「スチシ」「スジシ」あるいは「シュジシ」と読むが
一般には「サカジシ」と呼ばれているらしい。
鎮座地は、三ノ宮と質志の境にあり、質志大明神とも称された神社。
「質志」が「酒治志」に通じるとして
式内社・酒治志神社に比定されている古社。
三ノ宮の地名は、当社が山内庄の三宮にあたるため。
ちなみに一宮は曽根の何鹿神社、二宮は質美八幡宮だそうだ。
創祀年代は不詳だが、
天保四年(1833)に、創建一千年祭を行った記録があるそうで、
逆算して833年頃に創祀されたようだ。
『平成祭データ』では、その時期を元慶五年としているが
元慶五年は881年なので、間違いじゃないだろうか。
何か特別な計算方法があるのだろうか。
現在の祭神は、伊邪那岐尊と伊邪那美尊。
近江国坂本の日吉神社から勧請されたという伝承もあるそうで
大山咋命を祭神とする説があるらしい。
本殿の右手に、境内社が三社並んでいる。
また、本殿の左手に緑色の幕というかスクリーンのようなものが張られており、
その左手に、大きな境内社と、お堂のような社殿がある。
三つ並んだ祠の一番右手は天満宮と名札が付いていたが
その他の境内社に関しては未確認。
『明治神社誌料』には、蛭子神社、稲荷神社、天満宮の名前が載っている。
社頭 |
鳥居 | 拝殿 |
境内 |
本殿 | 本殿 |
境内社 | 境内社、右端が天満宮 |
延喜式内 酒治志神社
京都府船井郡瑞穂町字三ノ宮鎮座
由 緒
当社は延喜式内社で近隣では数少
い歴史的神社である。創建は火災による古文書焼失のた め審らかでないが天保四年に創建一千 年祭執行の記録が残されている 古くから五穀豊穣安産守護の神と して崇敬厚く古風な社殿境内の老 杉等が歴史の深さを物語っている 創建祝賀大祭は五十年毎に行われて おり近くは昭和五十八年に一千百五十 年祭が盛大に執行された 社名は近接の質志の里や「シュチ シ」はアイヌ語の「山麓」の意か らとの説もある −境内案内板− 延喜式内社で元慶五年之頃創立(天保四年一千年祭より遡り推考)質志の里に鎮座する故この社号ありという。 延喜元年の頃頂上葺修補。享保三年迄凡三百九十七回と古記にあるのでそれより遡り推考享保三年は即ち社殿造営の年である。(ちなみにシュチシはアイヌ語で山麓の意) 永正元年甲子桧皮造営。寛文十年庚戌三月拝殿建立。享保二年社殿建築。延享二年乙丑上葺、享保二年造営より二十八年目。宝暦九年屋根修復、延享二年修復より十六年目。文化八年宝蔵建立。文化十四丑年屋根修復。安政五年上葺。元治元年社殿造作。巨大な岩、天をつく老杉、往時の勢力を物語る。 本殿 参間弐面流造向拝付 槻 桧造桧皮葺 六坪七合 向拝 壱間弐面軒唐破風 槻 桧造桧皮葺 弐坪弐合 宝物 剣 一口 焼刀直刀白鞘 至徳二年十一月日 備刀長船住幸光 −『平成祭データ』− |