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丹生川上神社 中社
にうかわかみじんじゃ なかしゃ
奈良県吉野郡東吉野村小968
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式内社 大和國吉野郡 丹生川上神社 名神大 月次新嘗 |
奈良県の東吉野村にある。
東吉野村役場の南東に、高見川に沿って狭い220号線を進む。
とにかく狭い道だ。
その狭い道を走っていると小さな鳥居が見えるが、それは境内横の鳥居。
境内入口に朱の両部鳥居があるが、鳥居の稚児柱は黒く塗られていた。
通称、蟻通さん。境内奥に社殿があり、
拝殿から屋根付きの階段が山の上まで続き本殿がある。
社伝によると、鎮座地は神武天皇が天神の教示で天神地祇を祀り、
厳瓮を川に沈めて戦勝を占った聖地。
天武天皇白鳳四年、罔象女神を対岸の本宮山に祈雨神として創祀。
後に、現在地に遷座したという。
式内社・丹生川上神社に比定されている大社で
二十二社の第二十一位として朝廷の崇敬が篤かった。
もとは大和神社の別宮であったという。
京都の貴布禰神社と共に祈雨、止雨の神として
祈雨時には黒馬、祈晴時に白馬を奉納された。
しかしながら、応仁の乱以後は衰微して、
式内社・丹生川上神社の所在は不明となっていた。
明治四年(1871)、丹生大明神社(現下社)を官幣大社丹生川上神社としたが、
寛平七年太政官符にのる四至に、丹生川上雨師神社の境界として
「東限 塩匂 南限 大山峯 西限 板波瀧 北限 猪鼻瀧」とあり、
下社が、この四至に適合しないとして、
高靇神社(現上社)を式内社とすべきとする『大日本史』に従い、
明治七年、丹生大明神社(下社)を口の宮、高靇神社(上社)を奥の宮とした。
が、これにも異義が生じ、明治二十九年、
丹生大明神社を下社、高靇神社を上社とした。
さらに東吉野村の蟻通神社(当社)が、社辺の高見川を古代の丹生川であるとして請願。
よって、当社を中社と認定し、
中社祭神を罔象女神、上社祭神を罔象女神から高靇神へ、
下社祭神は高靇神から闇靇神へ改められた。
西参道の鳥居 | 西参道の木霊神社 |
鳥居 |
拝殿 | 丹生の真名井 |
屋根付き階段が上へ |
神武天皇の吉野宮址 |
丹生川上神社 旧官幣大社 鎮座地 奈良県吉野郡東吉野村小 御祭神 罔象女神 御例祭 十月十六日 当神社は天武天皇白鳳四年「人声ノ聞エザル深山吉野丹生川上ニ我ガ宮柱ヲ立テ以テ敬祀セバ天下ノ為ニ甘雨ヲ降ラセ霖雨ヲ止メン」との御神教により創祀せられ、雨師の明神・水神崇社として上下の尊崇殊の外篤く、天皇の行幸五十数度、祈雨止雨の奉幣祈願九十数度に及ぶ。 又当地は神代新嘗の女神丹生都比賣命が聖水を求めて巡行せられ、神武天皇建国神話の最高潮を彩る場所として古くより信仰上の聖地であり、吉野離宮の故地として喧伝されている。 今日では水道電力等水に関はる人々は勿論、木との縁から商売繁昌、酒造安全、又受験等の必勝の神として廣く信仰され、御神水を戴かれる人々も多い。 −境内由緒− 丹生川上神社 上社は奈良県吉野郡川上村。中社は吉野郡東吉野村。下社は吉野郡下市町。通称に、上社は川上神社、中社は雨師の明神、または蟻通さん、下社を丹生社という(いずれも旧官幣大社。現、別表神社)。神武天皇の東征に際し、天皇の夢の中に天神が出現し、天香山の土を取って天平瓮八○枚、厳瓮を作り天神地祇を祀れば賊は平らぐという。天皇は丹生の川上にて誓をしたところ神意にかなっていたので、「丹生川上之五百箇直坂樹」で天神地祇を祀ったところ、賊の平定が容易に行われたという(『神武天皇即位前記』)。天平宝字七年(七六三)「奉幣千四畿内群神其丹生川上神者加黒毛馬旱也」とみえ、以後、祈雨のために黒馬を奉ることとなる。宝亀八年(七七七)白馬を奉られる、弘仁一○年(八一九)以後は貴布禰社とともに祈雨、止雨の祭を行われるようになり、延喜式臨時祭にも、貴布禰社と同じく黒毛馬を与えられる特別の規定がある。名神大社に列し、祈年・月次・新嘗等の官幣に預かる。同九年従五位下、寛平九年(八九七)従二位に叙せられた。また二二社の一に数えられている。 これほどの名社も、応仁の乱以後、たとえば『親長卿記』明応五年(一四九六)には既に祈雨奉幣のための資力がないというような記事があり、丹生川上神社そのものの所在すら消息を失ってしまった。明治四年(一八七一)に至り、丹生大明神社(現下社)を官幣大社丹生川上神社としたが、これに対して寛平七年の太政官符にのる四至に適合しない、としてむしろ現、上社をあてるべきとする『大日本史』に従い、同七年、高靇神社を官幣大社丹生川上神社奥宮>とした。が、これにも異義の生ずるところとなり、同二九年、丹生川上神社を下社、奥宮を上社とした。さらに東吉野村の蟻通神社が、その社辺をとおる高見川を古代の丹生川であるとして請願したことからこれを中社と認定するに至り、このとき中社の祭神を罔象女神、上社を罔象女神から高靇神へ、下社は高靇神から闇靇神へ改められた。 例祭=上社一〇月八日。中社一〇月一六日。下社六月一日。上社には末社の水神祭(一月三日)、山の神祭(六月七日)、愛宕祭(一〇月五日)、恵比須祭(一一月二三日)は当屋の職掌する祭である。中社の石灯籠(銘弘長三年丹生社)は重文指定。また近くのツルマンリョウ自生地は天然記念物。中社には例祭に八台の太鼓台を奉昇し、下社には祈雨止雨のための大古踊がある。 −『神社辞典』− |