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豊國神社
とよくにじんじゃ
京都府京都市東山区茶屋町
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旧別格官幣社 |
京都市東山区にある。
京阪七条駅から東へ、京都国立博物館の北に西向きに鎮座。
鳥居をくぐり、境内に入ると正面に国宝の唐門。
一般の参拝客はここから参拝する。
唐門の奥に、拝殿があり垣の中に本殿。
唐門からは社殿がよく見えなかったので、
授与所で御朱印をいただく時に、御本殿の見える場所を聞いた。
境内右手に宝物館があり、渡り廊下沿いに垣の周りに出て御覧下さいとのこと。
宝物館拝観以外は立ち入り禁止という張り紙があったが、
指示通りに歩いてみた。
本殿のとなりには、北政所(ねね:豊臣吉子)を祀る貞照社がある。
本殿は木々の間からチラチラと見えるのだが・・・。
慶長三年(1598)八月十八日に死去した
豊臣秀吉を祀る神社で、通称「ほうこくさん」。
死後、その遺言によって、
当社の東方にある阿弥陀ヶ峰山頂に密かに埋葬され、
麓に豊国社が創建された。
だが、慶長二十年、豊臣家滅亡後、
徳川家康によって、豊国社は破却された。
社殿は、釘付けのまま放置され、朽ちるに任せた状態となった。
慶応四年、維新政府によって当社の再建が決定。
明治八年、方広寺境内を割いて、社地とし、明治十三年再建された。
大正十四年の秀吉夫人従一位北政所を境内社・貞照社に祀った。
境内左手には、境内社の槙本稲荷神社。
唐門の前には、瓢箪型の絵馬が、千成瓢箪のようにぶら下がっていた。
神紋は、本来は太閤桐のはずだが、境内や御朱印には五七桐が付いていた。
鳥居 | 参道 | 唐門 |
拝殿 |
かすかに本殿 | 垣内、本殿の隣の貞照社 |
当社から東方に1Kmほど離れた阿弥陀ヶ峰山頂
には、
豊臣秀吉を埋葬した豊国廟がある。
知積院の北側から京都女子大などがある、緩やかな坂を登ると、
新日吉神社側に、参道の鳥居が立つ。
広い境内に拝殿があり、そこから長い石段が続く。
石段は、登拝券によると565段。
ちなみに、石段から先は有料。
拝殿横に受付があり、そこでお金を払うか、
階段下の貯金箱のようなものにお金を入れる。
まっすぐに延びた長い階段を登ると、
神門があり、そこから更に階段を登ると、
垣に囲まれた五輪塔がある。これが豊国廟。
豊國廟鳥居 | 拝殿 | 神門 |
豊國廟 |
豊国神社境内の瓢箪絵馬 | 五輪塔と雪 |
豊国神社参拝の栞
由緒豊国神社は京都市東山区大和大路正面茶屋町(市バス三十三間堂前下車北に三百米余)旧大仏殿遺跡地にある。 御祭神は前関白太政大臣贈正一位豊臣秀吉公の御1柱である。 明治8年現在の地を相し、明治13年造営が成った。当初豊国神社は大阪城外に祠宇造営の御沙汰(明治天皇)があったが、永年にわたる京都市民挙げての熱願に遂に本社は京都へ御治定になり大阪へは別社を営まれる事になった。 境内摂社貞照神社は大正14年の創建で秀吉公の夫人従一位北政所、吉子の方を、お祀りしてある。北政所は世に有名な「おねゝの方」でいわゆる糟糠の妻として、豊公の天下統一の大業には内助の功頗る大きく、豊公の薨後は東山の高台寺に隠棲され寛永元年76歳で薨ぜられた。 −『平成祭データ』− |