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穴栗神社
あなぐりじんじゃ
奈良県奈良市横井1−677
妹が家に 伊久里の杜の 藤の花 今来む春も 常かくし見む
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奈良市にある。
JR桜井線の京終駅と帯解駅の中間あたり。
169号線の東に境内がある。
参道入口は東側。
真新しい鳥居の奥、畑の中に、こんもりと杜(もり)がある。
参道に「妹が家に 伊久里の杜の 藤の花 今来む春も 常かくし見む」
と刻まれた万葉歌碑がある。ただし伊久里の杜の万葉和歌については
大和説の他に、越中説、越後説などがあり定かではないらしい。
境内は広くないが落ち着いた雰囲気だ。
拝殿の奥に、垣に囲まれた渋い色調の本殿は四棟並んでいる。
創祀年代は不詳。
式内社・穴吹神社に比定されている古社。
「穴吹」というのは延喜式の誤写で、
本来は「穴咋」が正しいようで、
当地は、『日本書紀』景行天皇紀に「春日穴咋邑」とある地。
彦狭嶋王の墓所があるとされ、当社はその霊を祀った神社と思われる。
四棟並んだ本殿は、
伊栗社、穴栗社、青榊社、辛榊社と呼ばれており
春日大社境内にも祀られている神々。
春日大社の境外末社であった当社から、十二世紀に勧請されたものらしい。
参道や境内に境内社の小祠が3つ。
『式内社調査報告』によると、厳島、稲荷、神武天皇社。
鳥居付きの小祠が稲荷社だろうか。
参道の万葉歌碑 |
鳥居 | 境内 |
本殿 |
参道の境内社 | 境内社 | 境内社 |
穴栗神社(伊久理の杜:いくりのもり) 奈良市横井一丁目六七七番地
御祭神 伊栗(いぐり)社 (太玉命:ふとだまのみこと)穴栗(あなぐり)社 (高御産霊尊:たかみぬすびのみこと) 青榊(あおさかき)社 (青和幣:あおにぎて) 辛榊(からさかき)社 (白和幣:しろにぎて) この神社の鎮座する地は、古く「日本書紀」景行天皇(第十二代)の条に、「春日穴咋邑」と出ているところです。神社の名を穴吹・穴次と書くものもありますが、春日大社の記録によると、平安時代に、この地から穴栗・井栗の神が春日大社に勧請(分霊)されたと書かれています。境内にある元禄四(一六九一)年建立の社号標石にも「穴栗四社大明神』とあり、穴栗は古くからの呼び名です。 現在、穴栗神社は、横井東町の氏子がお祀りしています。 「萬葉集」に 妹が家に 伊久里の杜の 藤の花 今来む春も 常かくし見む −高安 王−(巻一七−三九五二)
と詠まれている「伊久里の杜』は、井栗の神を祀っていた、この地です。歌は、天平十八(七四六)年八月七日に、越中守大伴家持の館での宴の場で、玄勝というお坊さんが伝誦したものです。作者の高安 王(大原高安)は、天武天皇の皇子長親王の孫にあたり、奈良の都の人です。 「恋しい人の家に通っていく伊久里の杜に咲く藤の花よ、まためぐってくる春にも、いつもこのように眺めていたいものだ」と詠んでいる作者は、藤の花の咲くころ、このあたりを通って、恋しい人のもとを訪ねたのでしょう。 境内の萬葉歌碑は、平成十年五月に、平城萬葉教室と横井東町自治会の協力によって建立されました。 「伊久里の杜」萬葉歌碑建立実行委員会
−境内案内− |
【 穴栗神社 】