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福王子神社
ふくおうじじんじゃ
京都府京都市右京区宇多野福王子町52
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式内社 山城國葛野郡 深川神社 |
京都市右京区にある。
仁和寺の西300mの交差点北東角に南向きに鎮座。
京福電鉄高雄口駅の北200mほど。
ちょうど鳥居の前に信号がある。
当社の鳥居の柱には、柱の半分以上の根巻があって面白い。
階段を登ると境内。正面に拝殿があり、
後方に垣に囲まれて朱の春日造本殿。
左に末社・夫荒社がある。
以前、参拝に訪れた時は、創建1100年ということで、
社殿の解体修理中。
拝殿・本殿には覆いがかけられて、撮影できなかった。
創祀年代は不詳。
社伝では、往古は深川神社と称していたが、応仁の乱で焼失。
式内・深川神社の後身であるという。
一説に、「福王子」が「深川」の訛りであるといい、
一説に、境内社・夫荒社(フコウ)が「深川」の訛であるという。
寛永21年(1644)徳川家光と仁和寺法王覚深親王により
社殿を造営し、再興された。
当地が、光孝天皇の班子皇后の御陵墓であるとして、
班子皇后を主祭神に祀る。
班子皇后は仁和寺を開いた宇多天皇の母でもあり、
仁和寺の守護神として尊崇された。
境内社・夫荒社は、
洛北の氷室から御所宮中へ氷を運ぶ役夫が
当地で力尽き、息絶えたために祀られたものという。
当社は高雄口に位置し、当地の北方6Kmに氷室集落がある。
が、一役夫を祀るには、それなりの理由があるはずだが。
境内は、さほど広くはないが、
京都の神社らしく、綺麗な印象。
砂利の境内を歩くと、ジャリジャリと気持ちが良い音がする。
解体修理中の頃の社頭 | 拝殿 |
境内 |
本殿 |
境内社・夫荒社 | 本殿 | 境内のさざれ石 |
福王子神社由来
右京区宇多野に鎮まります福王子神社は第五十八代 光孝天皇の皇后班子皇后がおまつりしてあります。 班子皇后は仁和寺の開山祖宇多天皇の御母君であら せらるるところから、古くより仁和寺の鎮守神であります。 この御神殿は寛永二十一年今から三百三十年前三代 将軍徳川家光公と仁和寺法王覚深親王が仁和寺 大伽藍と共に新たに御造営された社殿で、それ以前は 深川神社(本社末社共)と申上げ平安朝時代からあつた 神社で延喜式の社号がございました、が、應仁の戦乱で惜くも すっかり焼失してしまいました。現在の福王子神社はこの深川 神社の後身であり、御再建以来、仁和寺歴代親王の崇敬あつく 今日も尚お祭には奉幣の儀が行はれて居ます。 又、御祭神班子皇后は至極お気軽なお気持ちのお方でその御 神徳をお慕ひ申上げ、古くより東紙屋川、西廣沢大沢池畔、嵯 峨野、南三条辺まで産土の大神として厚く尊崇せられて居ます。 因みにこの地は一説によれば御祭神班子皇后の御陵墓 かと言い傳へられて居ます。 末社夫荒神は平安朝時代毎夏洛北氷室より御所宮中へ 氷を献上する習はしあり、氷を運ぶ役夫がこの辺で疲労の為 力つき息絶ゆ、その霊をまつり、人々の安全を祈願致しました。 昭和四十八年三月この社殿の技法が何れも古式豊かで、よく 神社建築の正しい手法が守られて居るところから、此度 文部省より重要文化財に指定せられました。以上 −境内案内− |
【 福王子神社 】