[HOME] > [神社記憶] > [関西地方] > |
|
飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社
あすかのかわかみにますうすたきひめのみことじんじゃ
奈良県高市郡明日香村大字稲淵字宮山698
|
|
式内社 大和國高市郡 飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社 |
奈良県の明日香村にある。石舞台から南へ。
道路から急な階段を上ると境内。
なんとも雰囲気のある社だ。
本殿はなく、拝殿は「遥拝造」で後ろにも扉がる。
裏にも門があり、後方の山を拝する形。
つまり、当社の御神体は、後方の山であり、
三輪の大神同様、山岳信仰の形態。
創祀年代は不詳。
式内社・飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社に比定される古社。
祭神の宇須多伎比売命は、飛鳥坐神社の裔神とされ、
神社東方の大字畑には「ウスタケ」の小字が残っている。
鎮座地稲淵は、皇極天皇が雨乞いをした南淵の河上で
神社北方に南淵山があるらしい。
平安時代以降、衰微しており、
近年までは宇佐八幡宮とも呼ばれていたらしい。
境内の燈籠にも「八幡宮」と刻まれている。
明治初年まで雨乞いのナデモ踊「本なもで」が興行されていた。
拝殿左右に境内社がある。
資料によると境内社は、仁徳天皇社、武内社、明治天皇社らしい。
この仁徳天皇社は、入谷鎮座の大仁保神社を遷座したもの。
三代実録に記載されている国史見在社という説もあり
旧地に社殿が残されているらしい。
社号標 | 参道入口 | 参道 |
社殿 |
拝殿 | 拝殿後ろの門 |
拝殿左の境内社 | 拝殿右の境内社 |
飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社 飛鳥川上流、奈良県明日香村稲淵・栢森間の 宮山中腹に鎮座。本殿は中間が遥拝造で、後方 の山を拝する形をとる。祭神は宇須多伎比売・ 神功皇后・応神天皇。旧村社。「延喜式」神名帳 高市郡の「飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社」とさ れる。宇須多伎(臼滝)比売命は飛鳥坐神社の裔 神とされる(「延喜交替式」、貞観一〇年六月二八日 「太政官符」類聚三代格)。ちなみに神社東方の大 字畑にウスタケの小字が残る。鎮座地稲淵は皇 極天皇が雨乞をした南淵の河上(「日本書紀」皇極 天皇元年八月条)で、神社北方に南淵山がる。 近世、宇佐宮・宇佐八幡と通称され、天文二二 年(一五五三)銘の御湯釜(現存せず)にも宇佐八幡 宮と刻する(高市郡神社誌)。「高市郡古跡略考」に 「宇佐宮ノ下なる川中ニ少しき淵あり。底ニ駒 の足跡あり。皇極請雨の所にや」とみえ、明治 初年まで雨乞のナモデ踊を「本なもで」と称して 神社で興行したと伝え、その後は内宮(稲淵、南 淵請安墓に残る旧談山神社)において「かりなもで」 が行われた。氏子は大字稲淵・栢森・入谷・畑に 居住。平安時代前期の作と推定される男女各二 体の神像を蔵する。明治四四年(一九一一)入谷 に鎮座の大仁保神社を合祀、合祀後も旧地に社 殿が残されている。同社は仁徳天皇を祭神とし、 元慶二年(八七八)二月二七日に従五位下を授け られた大仁保神(三代実録)にあてる説がある(大 和志)。「日本書紀」皇極天皇三年一一月条に、蘇 我蝦夷が大丹穂山に桙削寺を造立したことがみ える。桙削寺跡については子島寺説、入谷説、 高取町丹生谷説(大和志)などがあり、「大和志料」 は丹生谷の大仁保神社をもって国史見在社と する。 −『大和・紀伊 寺院神社事典』− |
【 飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社 】