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八咫烏神社
やたがらすじんじゃ
奈良県宇陀市榛原高塚字八咫烏42
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式内社 大和國宇陀郡 八咫烏神社 鍬靫 |
奈良県宇陀市にある。
31号線沿いに鳥居が立っており、
鳥居の脇には「八咫烏神社」と刻まれた社号標。
参道を西へ進むと少し広い境内。
境内中央に南を向いた横向きの拝殿があり、
境内右手の階段上、朱の垣の奥に本殿がある。
境内は明るくて広い。
通俗オトゴロス社。
『続日本紀』の慶雲二年(705)九月二日の条に
「八咫烏の社を、大倭国宇太ノ郷に置きて之を祭らしむ」
とあり、奈良朝以前に創祀されたことがわかる。
式内社・八咫烏神社に比定される古社。
祭神は建角身命。
神武天皇が、道なき峻険の 山々をかきわけ宮居を定めんとした時、
神魂命の孫、建角身命(鴨建律見命)が大烏のごとく飛翔して導いた。
天皇は、その勲功を賞でて八咫烏の 称号をお与えになったという。
当社の南にある丸塚古墳は、八咫烏の陵墓であるという。
江戸時代には衰退し、石宝殿のみが残っていた状態だったが
文政年間に再興されたという。
その石宝殿が境内にあるはずだが、
見落としたのか、撮影し忘れたか、写真がない。残念。
神紋は瓦の写真からサンプリングしたが、変わった葵紋だ。
参道入口の鳥居 | 参道 |
境内入口の鳥居 | 拝殿 |
階段上に本殿 |
中門 | 赤い垣の奥に本殿 |
本殿 |
八咫烏神社略縁起 皇祖神武天皇熊野より賊軍を御東征の御砌り、道なき峻険の 山々をかきわけ宮居を定めんと、たたなめて伊那佐の山にお 登りされんとした時、この土地の豪族で偉丈夫の武角身命が 全身真黒い衣をまとい高い木より木へと飛び移って宮居の方 に天皇をご先導申し上げた。その姿が恰かも八尺もあるよう な大烏の様であったので、天皇はその勲功を賞でて八咫烏の 称号をお与えになった。慶雲二年九月天武天皇が武角身命を 祭神として、当社と指呼の間にある伊那佐山麓のここ高塚(鷹 塚)に八咫烏神社を創建して祭る。三足の烏を当社の絵様とし また山城国下加茂神社の旧神宮は鴨の県主で祭神武角身命の 苗裔である。従って葵を以て両社の神紋とされた由緒はここ にある。以上。 −境内由緒より− |
【 八咫烏神社 】