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輕樹村坐神社
かるこむらにますじんじゃ
奈良県橿原市西池尻町軽古青木178
天飛ぶや 軽の社の斎槻 幾世まであらむ 隠妻そも
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式内社 大和國高市郡 輕樹村坐神社二座 並大 月次新嘗 |
奈良県橿原市にある。
畝傍山の南、近鉄線南側にある西池尻町の中に鎮座。
創祀年代は不詳。
式内社・輕樹村坐神社二座に比定されている古社で、
貞観元年(859)正月二十七日に従五位上を叙された神社。
鎮座地は「軽古」と呼ばれる場所で、昔は軽氏の拠点として栄え、
当社も延喜の制では「大社」であったのだが、今は見る影も無い。
江戸時代には荒廃していたらしく、
『大和志』には「即此社今廃ス」と記されている。
やがていつしか八幡神を奉祭するようになったが、
本来の祭神は、軽氏祖神である彦坐王・白髪王である。姓氏録には、
「彦坐之後世孫白髪王、初彦坐命レ賜二阿彌古姓一、
成務天皇御代賜二輕地三千代一、是負二輕我孫姓一之由也」とある。
万葉集の「天飛ぶや 軽の社の斎槻 幾世まであらむ 隠妻そも」は
当社の社頭の鬱蒼とした槻の古木を詠んだもの。
鳥居 |
拝殿 | 扁額 |
本殿 |
軽樹村坐神社 軽古集落北部に鎮座。誉田別命を祀り、近世 まで八幡宮と称した。軽樹村坐神社は天安三年 (八五九)一月二七日従五位下より従五位上を授 けられ(三代実録)。「延喜式」神名帳高市郡に 「軽樹村坐神社二座並大、月次新嘗」がみえ、ながく 所在が不明であったが、「大和志」が「在池尻属 軽子邑(中略)社今廃」と記して以来、復興して式 社に治定。旧村社。社名について軽樹の村とす る説、軽の樹叢とする説がある。「延喜式」九条 家本・金剛寺本には「カロコムラ」の訓注を付す。 軽の地名は橿原市大軽町に軽寺・軽池などがあ り、一方、当地も中世に「軽家」(三箇院家抄)、 「軽部」(「満済准后日記」永享四年一二月二〇日条)と 記された。「万葉集」巻一一に「天飛ぶや軽の社の斎槻(いはいつき)幾世まであらむ隠妻そも」の歌がある。 −『大和・紀伊 寺院神社大事典』− |
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