[HOME] > [神社記憶] > [関西地方] > |
|
山神社
やまじんじゃ
兵庫県豊岡市日高町山宮字前田409−3
|
|||
式内社 但馬國氣多郡 山神社 名神大 |
兵庫県豊岡市にある。
江原駅の西8Kmほどの日高町山宮に鎮座。
482号線を西へ進み、大岡寺の付近で北へ入る。
簡単に書けば、こうなるのだが、少し分りにくい場所にある。
清滝トンネルへ向かう広い道の側にあるのだが
周囲の道よりも、境内が低い場所にあるので見落としがち。
道から少し東へ入ったところに、
境内入口の鳥居がひっそりと建っている。
鳥居をくぐると、参道階段を下る。
入口より境内が下にある、珍しい下り宮の形式。
階段を下りると、社頭から想像できないほどの広い境内。
古木の茂る社叢は、旧日高町の天然記念物に指定されている。
境内奥、石の垣に囲まれて社殿。
拝殿は入母屋造。
背後の本殿は、覆屋の中で、確認していないが流造らしい。
本殿の背後に、御神木の朴の木(ホオノキ)。
その葉は、殺菌作用があるようで、朴葉寿司として用いられる。
また、葉が大きく、古代では食器替わりの用いられ、
堅い木なので、下駄の歯の材料ともなるようだ。
が、当社では御神木なので、氏子の間では
朴歯下駄を用いない風習があるとか。
鎮座地が示すとおり、山宮とも称される神社で、
式内社・山神社に比定されている古社。
社伝によると、欽明天皇二年二月九日の創祀。
北山の聖岩の場所に鎮座していたが、
称徳天皇元年四月八日、現在地へ遷座したという。
仁明天皇承和九年(842)には官社に預けられ
清和天皇貞観十年(868)従五位下から従五位上に昇叙され
延喜式では、名神大社と記された大社であった。
明治六年村社に列せられ
明治四十一年に
三柱神社・八幡神社・八坂神社を合祀した。
当社の特殊神事に、祈雨祭がある。
毎年ではなく、旱魃の時に行われるらしい。
境内左手に、境内社・稲荷神社が祀られている。
『全国神社名鑑』には、当社の神紋は記載されていないが
拝殿には、桐紋と菊紋の染められた幕がかけられていたので、
とりあえず掲載しておく。
境内入口 | 参道下り階段 |
境内 |
社殿 |
本殿覆屋 | 社殿 |
稲荷社 | 拝殿 |
本殿背後の御神木、朴の木 |
御由緒 欽明天皇二年二月九日の創立と伝えられ、宮の北山なる聖岩に鎮座せしも天平神護元年四月八日今の地に遷座された。承和九年官社に預り、貞観十年神階従五位上に進叙せられ、延喜式の制名神大に列し、源頼朝神領米三十三石、山三町四面を寄進すると伝え、江戸時代藩主仙石氏の崇敬を受けて例祭には代参又は直参せられた。 宝永三年本殿を建立し、さらに明治二十七年本殿を建立し、さらに明治二十七年本殿を再建されたのが現在の本殿である。 明治六年十月村社に列し、同四十一年三柱、八幡、八坂の三神社を合祀し稲荷神社を境内に奉斎した。 −『平成祭データ』− 御神木
古来山神社の御神躰
は此の朴の木の謹作
と言い伝えられ又大
日本史神祇志に山神
社今在山宮村稱厚朴
大明神祀大山祇命と
記してあって山神社
と朴の木は因縁深き
ものあり朴の巨木 根廻り九.五米 故に昔氏子は朴歯の 下駄を用いざる風習 であったと云い伝へ られてゐる −境内案内板− |