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屋岡神社
やおかじんじゃ
兵庫県養父市八鹿町八鹿字篭ノ口1513
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兵庫県養父市にある。
円山川の支流・八木川のそば、養父市役所の南に
住宅が密集している場所に境内がある。
狭い道に面して、境内入口は東向きだが
境内そのものは南向き。
よって、入口の鳥居をくぐり、参道を右へ曲がると
石垣の上に社殿がある。
社殿の左右に境内社があり、
右手には三社、左手には一社が祀られているようだ。
壁のない舞殿のような拝殿の後方には
覆屋に納められた本殿。
覆屋の前面が格子になっており、肉眼ではよく見えたのだが
デジカメで写したものでは、よく確認できない。
オートフォーカスに頼りっぱなしなのが良くないのだろう。
創祀年代は不詳。
式内社・屋岡神社に比定されている古社。
当地は、上古「屋岡の里」と呼ばれており
当社号は、地名から名付けられたらしい。
ひょっとすると「八鹿(ようか)」と同じかも。
案内板では、神功皇后御誕生の地と言われる「天子」という地に鎮座。
『兵庫県神社誌』では、神功皇后三韓征討の際に上陸され
御船を覆された跡で「船岡」とある。
祭神は、天照皇大神と応神天皇。
当社は、通称口の宮といい、
かっては、金ケ平の奥の宮と合わせて
屋岡神社と称したらしい。
が、奥の宮は中世に廃絶したという。
奥の宮には、神功皇后と仲哀天皇が祀られていた。
社殿左右の境内社は、案内板によると
八柱神社、稲荷神社、絹巻神社、抱見天王。
鳥居 | 境内 |
境内 |
社殿 | 本殿覆屋 |
社殿 |
覆屋格子ごしの本殿 |
式内屋岡神社
祭神、天照皇太神、応神天皇由緒、上古この辺一帯は「屋岡の里」と呼ばれ ていた。人皇第九代開化天皇の王子日子座王の曾 孫船穂足尼命が第十三代成務天皇の御代に 但馬の国造として来り、現在の天子の地に館を構 えた。船穂足尼命の孫の息長帯比賣命は第十 四代仲哀天皇の皇后となり、英武の氣性をもって 国威を海外に発揚し神功皇后を崇められた。 女丈夫であり、応神天皇(誉田別命)の母君でも ある。天子の地名はこの偉大な神功皇后の御誕生地 に因み名付けられたと言はれています。その後人々は神霊への 敬慕と加護の願いをこめて域内の西方に宮居を造営 し、天照皇太神と応神天皇の神霊を合祀し、 是を口の宮と言いその内苑は今の神域を中心に 広大な境内に石垣をめぐらした神聖な神域で外苑 を隔て馬場があり、今も馬場の地名が残ってゐるが、再三 の洪水で宮居も流され今は原形の面影もなし。又西方の 壱部の金ヶ平には仲哀天皇と神功皇后の神霊を合祀 した奥の宮を建立し、兩宮を通稱して式内屋岡神社と 称した。然し奥の宮は中世に御神体は移転、宮居は廃棄 され今日に至る。 摂社 八柱神社、稲荷神社、絹巻神社、抱見天王 −社頭案内板より− |
【 屋岡神社 (養父市) 】