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子部神社
こべじんじゃ
奈良県橿原市飯高町372
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式内社 大和國十市郡 子部神社二座 並大 月次新嘗 |
田原本町と橿原の境界にある。瑞花院吉楽寺の横。
近くに同名社があるのに気付かなかった。
創祀年代は不詳。
式内社・子部神社に比定されており、
貞観元年(859)に従五位上を叙された神社。
舒明天皇十一年、当社の木を伐って九重塔を建て百済大寺としたが
祭神の怒りによって、堂舎が焼失したと言われているらしい。
祭神・小子部命について。
『日本書紀』に、雄略天皇が蝶嬴に命じて国内の蚕を集めさせたが
間違えて嬰児を集め、天皇に献上した。
そこで天皇は、蝶嬴に託して、養わせ、小子部連の姓を賜ったという。
明治二十四年の明細帳では、
境内三社の春日四神と、八社の素盞鳴尊と、
厳島社の市杵島姫命を合祀したとあるが
『平成祭データ』では、
市杵島姫命は斎主神となっているようだ。
市杵島を「神霊を斎つく神」と解釈されているのだろうか。
当社から南西50mのところにも、子部神社という小祠があるらしい。
俗に、蝶嬴神社と言い、小子部神社、雷神ともいう。
また、軒の宮とも呼ばれ、当社の別宮と考えられており、
いわゆる私宮であろうという。
雷神と称するのは、『日本書紀』の記述による。
雄略天皇六年、天皇は少子部連スガル(蜾蠃)に、
三輪山の神が見たいので、捕って来いと命じたところ、
少子部連スガルは三輪山に登り大きな蛇を捕えてきて、天皇にお見せした。
天皇は斎戒していなかったため、
大蛇は雷のごとき音をたて、目を輝かせてたという。
本殿に神紋が見えたが、遠くて確認できない。くやしい。
拝殿 |
鳥居 | 拝殿扁額 | 境内社 |
本殿 |
延喜式制に於いては大社に列し
四時祭には、案上官幣に預った。以後の沿革は不明であるが、
明治官制に於いては村社となり、(略)
−『式内社調査報告』− |
【 子部神社 】