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須佐神社
すさじんじゃ
和歌山県有田市千田1641
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式内社 紀伊國在田郡 須佐神社 名神大 月次新嘗 |
有田市千田にある。和歌山から42号線を南下し、
有田川を越え、箕島あたりで、20号線にはいり、
立神社横をまっすぐ走っていると道路に鳥居があり、
鳥居をくぐって、さらに走ると到着。
階段を登ると正面に白馬の像があり、腹に桃紋。
丘の上にあるのだが、鈴門から拝殿、本殿と、
かなりの奥行きを感じる境内。
参道脇には末社が並んでおり、白鹿の像なども見える。
和歌山滞在最終日だったので、かなり早めに参拝。
社殿横に住居を兼ねた社務所があったが、御朱印は遠慮した。
中門に、桃紋の額があったので、サンプルして掲載した。
『神社縁起』及び『紀伊続風土記』には、
和銅六年十月に奈良の吉野・西川峰より勧請し、
最初、中雄山山頂に奉斎していたが、
西に面し海に向かっているため、
海上往来の船舶が恭謹しないと難破したので、
天明天皇の勅令により、麓へ移したとある。
式内社・須佐神社に比定された古社。
1711年造営春日造の本殿は、檜皮葺だったものを昭和に銅板葺にしたもの。
丘の上にある境内だが、かなり堂々とした構えだ。
階段脇や拝殿前、本殿左右などに、末社が11社。
式内社調査報告では以下の通り。
階段脇
子安神社(湍津姫命)、金山神社(金山毘古神)、
南龍神社(徳川頼宣言)、湊川神社(楠正成)、伊太祁曽遥拝社
拝殿前
厳島神社(市杵嶋姫命)、住吉神社(表筒男命・中筒男命・底筒男命)、
五ヶ庄神社(軻遇突智命外三柱)、琴平社(大物主命)
本殿右
東方殿 (天照大神・月読尊・手力雄神)
本殿左
西方殿(伊弉諾尊・伊弉冉尊)
ただし、参拝時は、金山神社が金比羅社となっており、
琴平は見当たらず神光谷社があり、
五ヶ庄神社は稲荷社と相殿になっていた。
『和歌山県神社誌』では境内社十一社は、
天照皇大神社、月読尊社、五ケ庄社、住吉社、厳島社、神谷社、
伊太祁曽社、湊川社、南龍社、金刀比羅社、子安社となっている。
社頭 |
子安社 | 金比羅社 | 参道階段を見下ろす |
南龍社 | 湊川社 | 伊太祁曽遥拝社 |
階段上の鳥居 | 神門 |
境内 |
五ケ庄社・稲荷社、住吉社、厳島社、神谷社。白鹿の像もある |
鈴門 | 祝詞殿拝殿 |
春日造本殿 |
須佐神社(お千田さん) 有田市千田一六四一 紀勢線箕島駅三四粁 祭神 素盞嗚尊 例祭 一〇月一四日 神紋 桃 本殿 春日造 一二坪 境内 一五、三三二坪 末杜 一一社 社宝 太刀(因州影長作・重文) 氏子 九六八戸 神事と芸能 神輿渡御・鯛投げ神事(例祭) 由緒 和銅六年、大和国吉野郡西川峰より勧 請されたと伝えられる。江戸時代には藩主紀 伊徳川氏の歴代の崇敬社として、社殿の造営 修復等は藩費でなされ、吉宗奉納の太刀があっ た。延喜式神名帳に記されている名神大社で、 貞観元年従五位上に、紀伊国神名帳には従一 位とある。明治四年県社に列せられた。 −『全国神社名鑑』− |