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江文神社
えぶみじんじゃ
京都府京都市左京区大原野村町643
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式内社 山城國愛宕郡 伊多太神社 |
京都の左京区にある。
京都市街から大原方面へ367号線を北上し
大原の手前で、江文峠方向へ40号線を左折して数百mの場所。
金毘羅山の南東麓に鎮座。
道路に面して参道入口があるが、
鳥居はずっと奥にあるので、ちゅっとわかりにくい。
前回(5年前)に訪れた時は雨が降っており
樹木に囲まれた境内で、まともな写真が撮れなかったので
2008年の夏、京都観光の帰り道に再訪。
朝の6時頃なので、やっぱり境内は暗かった。
参道を進むと、小川にかかる石橋があり、その奥に鳥居。
鳥居をくぐると、左手に砂利の駐車場がある。
駐車場には供養塔があるのだが対象が「鳥獣魚貝」というのが興味深い。
鳥居の脇には境内社の祠が一つ。
参道を進むと石の階段があり、階段上に老朽化した拝殿。
前回は無かったが、今回(2008年)は「立入禁止」の札が掛っていたので、
拝殿の右手に回り込んで境内へ。
境内奥、石段の上に見事な社殿が並んでいる。
中央の御正殿に、当社主祭神の倉稻魂命を祀り、
向って右の御殿には級長津彦神、左の御殿には軻遇突智神を祀る。
社殿の左手には、境内社の祠と石が祀られているが、
どちらかが源太夫社だろうか。
大原八郷の総鎮守。創祀年代は不詳。
大原三千院の守護神として創祀されたとも
延暦寺座主慈覚大師の勧請によって創祀されたとも伝えられ、
もとは天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神の造化三神を
江文山(今の金毘羅山)の頂上に祀っていたものを
平安後期に現在地に社殿を創建して遷座したという。
式内社・伊多太神社の論社の一つであったが、
現在は否定されているらしい。
中世には栄えた神社であったが
信長による比叡山壓迫の際に衰退したという。
祭神は倉稻魂命なので、豊穣の神なのだが、
案内板によると、衣服の神でもあるらしい。
これは「江文」を「えもん」と読んだ語呂合わせからの発想だろうか。
当社拝殿では「好色一代男」に描かれた「大原雑魚寝」の風俗があった。
むかし、村の大淵に大蛇が住み、里に出ては人を襲ったので
里人は一か所に隠れ難を逃れたというのが
いつしか節分の夜に参籠通夜するようになったという。
この風俗は、明治以前に禁止されている。
参道と鳥居 |
駐車場の供養塔 | 鳥居脇の祠 |
参道階段 | 老朽化した拝殿 |
境内 |
境内と社殿 | 社殿 |
社殿 |
社殿左手の境内社と石 | 社殿 |
江文神社は大原八ヶ町の総氏神で、古代より背
後にそびえる江文山(今の金毘羅山)の頂上の
朝日の一番早く照る処に御祀りされて居り
ました神々を、平安時代の後期に此処に、住人
達が御殿を創建して御鎮座を願ったので有
ると古くより代々伝へられて居ります。御社殿の
配置を説明致しますと、中央の御正殿には倉
稲魂神(穀霊神)向って右の御殿には級長津彦神(風・水神)向って左の御殿には軻遇突智神(火の神)を御祀りして、古くより豊饒、衣服、
生産の神として広く世の人達に崇敬されて居り
ます。 −境内案内板− |