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絹巻神社
きぬまきじんじゃ
兵庫県豊岡市気比字絹巻2585−1
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兵庫県豊岡市にある。
城崎温泉駅の北東3Kmほどの気比に鎮座。
3号線を北上し、港大橋を渡ったところ、
道路の脇、絹巻山の麓に境内がある。
橋の東詰、道がカーブしている場所にあるため
車を止め難い場所。
かなり離れた場所に車を止めて、
歩いて境内に向かったが、小雨が降ってきて、
急いで参拝をしたのを覚えている。
社伝によると、応神天皇三年四月大山守命をして
山海の政を統治せしめし時、
大山守命は多遅麻黄沼前県主武身主命の子・海部直命をして
多遅麻の海政を行わせ、姓を海部直と称することを許した。
海部直命は、始祖である天火明命を黄沼前県に祀りて
清明宮と称したという。
仁徳天皇十年八月、海部直命を城崎郡司とし、海部直を兼ねることとなり
黄沼前県を海部村に置き、
多遅麻の海人を領し、清明宮(黄沼前神社)を海部村の絹巻山に移し
絹巻神社と称した。
履中天皇の御代、海部直部の子・西刀宿禰が城崎郡司となり、
父・海部直命を気比の丘に葬り、祠を建てて海神社とし、
天武天皇白鳳三年、城崎郡司・韓国連久々比命が
各神社の鎮座を定めた時、海神社を絹巻山に移転して
海神社絹巻大明神と称するようになった。
(現在、海神社は独立し遷座されている。)
仁明天皇仁和元年、神階従五位下を賜り、
文化十一年現在の本殿を再建した。
上記のように、現在の主祭神は海部直命の祖・天火明命。
相殿に海部直命と天衣織女命を祀っているが異説も多い。
まず、『兵庫県神社誌』には、祭神は天衣織女命。
他に、海部直命、海部姫命、海童神、船魂神、
建田背命、玉櫛姫命などの名が記されている。
また、上中下三柱の神として、
上・建田背命、中・天火明命、下・玉櫛姫命。
上・玉櫛姫命、中・豊宇気比売命、下・事代主命
とする資料もある。
明治六年十月村社に列した。
当社は但馬国五社大明神の一社。
ちなみに、五社大明神とは、
粟鹿大明神、出石大明神、養父大明神、小田井大明神、絹巻大明神。
社殿の屋根に三巴紋が付けられていたが、
神紋かどうかは不明。
社名から、糸巻きのような図案を想像していたが、
社殿の外側には見当たらなかった。
社域 |
鳥居 | 境内 |
社殿 |
本殿 | 境内社・稲荷社 |
その時、海部直命は、自分の始祖天火明命を黄沼 前県に祀り清明宮と称した。仁徳天皇十年八月、海 部直命は城崎郡司を兼ねる事となり、黄沼県を海部 村(小島)に置き、多遅麻の海人を領し、清明宮を海 部村に属する絹巻山に移し絹巻神社と称した。 履中天皇の御代、海部直部の子西刀宿禰が城崎郡 司となり、宿祢に命じ瀬戸の水門の俊渫を行った。 爾来、円山川沿岸は洪水禍をまぬがれたと伝えられ ている。 仁明天皇仁和元年神階従五位下を賜り、文化十一 年現在の本殿を再建した。 絹巻山は天然記念物の指定をうけ「ひめはるぜみ」 の生息地としても有名である。 −社頭案内− |
ところで、参拝後に気比の町を散策している時、
変わった形の岩を発見した。
脇に登り口があり、階段を上ってみると、三本の石碑が立っていた。
石碑にはみな「南妙法蓮華経」と刻まれている。
その「南妙法蓮華経」の下にそれぞれ別の神名も。
一本には「八大龍王」とあり、
一本には「絹巻之顕ス」、一本には「式内海神之顕ス」。
この岩、あるいは岩から繋がる西の山が
海神社を祀った気比の丘か、絹巻神を祀った絹巻山なのだろうか。
変わった形の岩 |
「絹巻之顕ス」 | 「絹巻之顕ス」拡大 |
「式内海神之顕ス」 | 「式内海神之顕ス」拡大 |