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東三條大将軍神社
ひがしさんじょうたいしょうぐんじんじゃ
京都府京都市東山区長光町640
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王城鎮護・東方 |
京都市東山区にある。
東山三条通りを南へ入った路地にある。ちょっと分かりにくい。
境内には東三条社(藤原兼家邸跡)がある。
社伝によると、
桓武天皇は延暦十三年(794)平安京の造営に際し、
大内裏鎮護のため都の四隅に素戔嗚尊を祀り大将軍と称したといい、
特に平安京の東のこの地は三条口の要地に当り、
邪霊の浸入を防ぐ意を以って、当社は重要視されていたという。
文政十二年(1829)朝議大夫陸奥守千葉正胤によって再興された。
東南隅の大将軍とされているが、
八坂神社所蔵の鎌倉期境内図では、境内に大将軍神社が描かれている。
八坂と当社は、無関係に、二社存在していたのか、
当社が八坂から移されたものかなど、詳細は不明。
西側入口 | 東側入口 |
社殿 |
荒熊稲荷神社 | 神馬像と境内社 |
天満宮と東三條社の碑 | 白龍弁財天 |
大将軍神社
素盞嗚尊を主神とし、相殿に関白藤原兼家を祀る。桓武天皇が平安京を造営した際、大内裏鎮護 のため、四方四隅に祀られた大将軍神社のうち、 東南隅の一つである。 特に平安京東のこの地は、三条口の要地にあたり 邪霊の侵入を防ぐ意を以て重要視されてきた。 このあたりに建てられた藤原兼家邸は、応仁 の乱で廃壊したが、境内に東三條社として名跡を 留めている。又。樹齢八〇〇年と伝える銀杏の 大樹があり、かっては鵺の森とも呼ばれ、源 頼政の鵺退治の伝説を偲ばせる。 −境内由緒書き− 大将軍については、雑記『王城鎮護・大将軍』を参照。大将軍神社は素戔嗚尊を祭神とし、相殿に藤原兼家公を祀ってあります。 桓武天皇は延暦13年(794)平安京の造営に際し、大内裏鎮護のため四隅に素戔嗚尊を祀り大将軍と称しました。特に平安京の東のこの地は三条口の要地に当り、邪霊の浸入を防ぐ意を以って重要視されて参りました。 また、藤原兼家公は後一条天皇の外祖父であり、藤原道長の父で、摂政・関白となり、東三条殿を営み、その邸は景勝の美そのものと詠われました。道長は後に父の像を祀りました。東三条殿は応仁の乱で廃壊しましたが、当社の境内に東三条社として名跡を留めています。 当地の住民は、元来、平安遷都に際して奈良の旧都から朝廷に随伴して京都に移り住んだ人々で、代々御所の御用を勤め種々の特権を認められた由緒のあることで知らてれています。 −『平成祭データ』− |
【 東三条大将軍神社 】