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御机神社
みつくえじんじゃ
大阪府四條畷市南野6−12−1
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式内社 河内國讃良郡 御机神社 |
大阪府四條畷市にある。
四条畷駅の東1Kmほどにある、四條畷神社の前から、
北へ500mほど進み、東へ曲がると、
小川に架かる橋の向こうに境内入口が見える。
参道の階段を上り、左手にまがると鳥居。
その奥に、少し広い境内がある。
鳥居の正面に社殿があり、拝殿の後方に本殿覆屋。
覆屋の格子から、かろうじて本殿の屋根が見える。
台風が大阪をそれた午後で、雨上がりの参拝。
砂地の境内には、幾つかの水溜りがあったが、
境内を包むよう森は瑞々しい。
何より水神に関連するであろう当社参拝に相応しい日和。
当社は飯盛山の北麓にあり、飯盛山の登山口にもなっている。
創祀年代は不詳。
本来の鎮座地は、現在地よりも東へ500mの宮地という場所。
四條畷の水源である室池の近くで、権現川の口にあったという。
文禄年間に、堂山へ遷座し、元禄年間に現社地へ移動したという。
というように、元は水源に祀られた、
水神信仰の神社であると考えられ、
社名の「御机」も、水からの派生だと思われる。
ただ、「溝咋(ミゾクイ)」からの訛りという説もあるが、
「溝咋」も水田へ水を引き入れる機能の神格と考えれば、同じこと。
また、「机」を津夫江の訛りと解釈し、
津夫江連の祖神・天津彦根命を祭神とした神社という説もある。
近世には牛頭天王社と称し、素盞嗚尊を祭神とする。
社殿の右手に水神社。
社殿の左手には、板垣で囲まれた神明社・稲田社。
板垣の上部は、滝地車を解体して利用した覆屋らしく、
少し歪な形で、面白い。
板垣の隙間から覗いてみると、石祠があった。
境内の左手には藤木社があり、
藤木社からは、車用の道が境内入口まで続いている。
境内入口 |
社号標 | 参道 | 鳥居 |
境内 |
藤木社 | 神明・稲田社 | 水神社 |
覆屋内の本殿 | 拝殿 |
御机神社 由緒 御祭神 素盞嗚尊 当社は延喜式神名帳(九〇五年〜九二七年) に載る古社で起源は奈良朝時代に鎮座されていた ものと推測される。永禄三年(一五六〇年) 三好長慶が飯盛山に居城した頃には飯盛城鎮護 の神として崇敬も厚かった。御机神社古案内文 には「・・・・・古くは現在地の東方字宮地に 有ったが文禄年間(一五九二年〜一六九六年) に字城の堂山に移し更に元禄十三年(一七〇〇 年)にこの地に移転したものである」 と記されている。現在の社殿は明治十四年に 建てかえられたものである。 御神徳 学問 疫病除け 縁結び
−境内案内板より− |
【 御机神社 (四條畷市) 】