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伊弉諾神宮
いざなぎじんぐう
兵庫県淡路市多賀740
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式内社 淡路國津名郡 淡路伊佐奈伎神社 名神大 |
淡路島にある。
三宮からバス一時間で津名港。そこからバス20分。
神戸に出張があり、ちょっと寄るつもりだったが、遠かった。
交差点に面して、大きな鳥居が建ち、
鳥居の右手に、「伊弉諾神官」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり、100mほどの参道を歩くと、境内の鳥居。
鳥居の奥に、石橋と表神門がある。
表神門をくぐると、広い境内。
中央に社殿、左手に社務所、右手には夫婦大楠。
拝殿の後方に、幣殿中門があり、大きな本殿がある。
本殿は檜皮葺流造八坪。
早朝で人が居ないためか、静かで清々しい。
通称は、幽宮(かくりのみや)。
古事記に、
「故其伊邪那岐大神者坐淡路之多賀也」。
日本書紀に、
「伊弉諾尊神功既畢而霊運當遷是以構幽宮於淡路之洲寂然長隠者也」。
以上のように、祭神・伊弉諾大神は神功を終え、
淡路国に幽宮(当社)を建てて隠れ給うたという。
淡路国一の宮である。
社殿の右手に、3つの境内社が並んでいた。
左右神社、根神社・竈神社、鹿島神社・住吉神社。
また、大楠の根本には岩楠神社。
鳥居 | 鳥居と社号標 | 参道 |
境内 |
参道脇の池に祠 | 境内右手に淡路祖霊社 |
表神門 | 石橋 |
境内 |
拝殿 | 拝殿 |
幣殿中門 | 本殿 |
左右神社、根神社・竈神社、鹿島神社・住吉神社 |
夫婦大楠 | 力石 |
伊弉諾神官(神社)兵庫県津名郡一宮町多賀。
旧官幣大社(現、別表神社)。伊弉諾命・伊弉冊命を祀る。伊弉諾命が淡路島を生み、群神を生み終えて幽宮を淡路之洲に営んだのが、当社の始まりという。従って、古来、淡路島神とか津名郡に坐すので津名神、また鎮座地が多賀というところから、多賀明神、多賀宮、あるいは島神などとも称された。履中天皇が、狩をされた時、罪人が随行したので、伊弉諾大神は、祝に託して血臭に堪えないと告げられたといわれ、また允恭天皇が狩をされた時に、獲物がなく、占うと、赤石の海底に真珠というものがあるので、それを取って祭りをすると獣をとることができようという御教があり、その通りにすると獲物が多かったとも伝えられている。 平城天皇の大同元年(八0六)には神封一三戸が充てられた。清和天皇の貞観元年(八五九)には、無品勲八等伊佐奈岐命に神位一品が授けられ、延喜の制では、名神大社に列せられた。平安時代末期より、淡路国の一の宮となり、一宮大神とも称せられるようになった。明治に至り、四年に国幣中社、同一八年官幣大社に列した。昭和七年に伊弉冊命を合祀、同二九年、伊弉諾神社と称していたのを、現社名の伊弉諾神宮と改称した。例祭四月二二日。特殊神事として正月一五日には粥占祭、六月一日の御田植祭、七月半ば頃には除虫祭等が行われる。
−『神社辞典』− |
【 伊弉諾神宮 】