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淺間神社
せんげんじんじゃ
兵庫県養父市八鹿町浅間字井戸前361−1
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式内社 但馬國養父郡 淺間神社 |
兵庫県の養父市にある。
八鹿駅の北東4Kmほどの八鹿町浅間に鎮座。
円山川を越えて出石方面へ向う道の途中に
参道入口の鳥居が建っている。
鳥居の脇には「式内淺間神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり参道を北上すると
周囲を木々に覆われた境内。
左手奥は竹林になっているようで
良い感じの境内だ。
境内に一基の井戸があることから
鎮座地の字を「井戸前」といい
当社も「井戸の宮」と呼ぶらしいのだが
残念ながら、参拝時には井戸に気付かなかった。
撮影した写真でも井戸は確認できない。
社殿は、入母屋造の拝殿と
後方一段高い場所に流造の本殿。
ともに、鉄パイプで補強されていたが傷んでいるのだろうか。
創祀年代は不詳。
近くにある浅間寺が、天平年間、行基により開山され
八世紀前半に僧房三十余を有していたといい、
薬師堂坂の後期古墳の存在から
六〜八世紀の創立と推定されている。
式内社・淺間神社に比定されている古社。
祭神は木花開耶姫命。
昭和六年に同地区のあった葛(かつら)神社と八柱神社を合祀した。
合祀されて葛神社は、式内社・葛神社に比定されている古社。
元は浅間字堂ノ奥に鎮座していたらしい。
葛神社合祀の理由は、浅間集落の地区民の数のわりに
浅間寺、浅間神社、妙見社、岡薬師などの建物が多く
維持管理や祭礼の労が多いことによる。
『兵庫縣神社誌』には葛神社が別項として記され
昭和三年大雪のため本殿倒壊、その後再建とある。
『播磨国風土記』宍禾郡の記載の、
御方(御形)の郷の地名の由来に以下の記述がある。
天日槍命と葦原志許乎命が、黒土の志爾嵩に至り
おのおの黒葛を三条(みかた)を投げて支配地を決定した。
天日槍命の投げた三条は、すべて伊都志(出石)に落ちた。
葦原志許乎命の投げた黒葛は、
一条が但馬の気多の郡に、一条は夜夫の郡に、
そして、最後の一条が御方に落ちた。
ということで、葛神社の祭神は、
葦原志許乎命とも天日槍命とも、
あるいは、素盞嗚命とも一言主神とも。
ようするにわからない。
社殿の左手に境内社が二つ。右手に一つある。
『式内社調査報告』には、
大祥宮、稲荷社、才ノ神の名前が記されている。
参道入口 | 境内入口 |
境内 |
拝殿 |
社殿 | 本殿 |
境内社 | 境内社 |