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澤神社
さわじんじゃ
京都府綾部市栗町裏山2
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京都府綾部市にある。
綾部駅の北西4Kmほどの栗町裏山に鎮座。
駅から北上して由良川を渡り、74号線を西へ。
小学校の北側の道から北上すると、
道路がカーブしている場所に鳥居が建っている。
参道階段を上り、鳥居をくぐり、
さらに階段を上ると境内。
境内左手に参集殿らしき建物があり、その前に土俵がある。
参道の正面、石組の上に社殿。
舞殿のような拝殿の向こうに、覆屋根の中に納まった二棟の本殿が見える。
二棟並んだ本殿の東(右手)は、東殿社と呼ばれる大嶋神社。
西(左手)は、西殿社と呼ばれる澤神社となっている。
創祀年代は不詳。
社伝によると、もとは澤山にあり、そのあたりに大きな澤があった。
中世になって付近が開拓され、澤田が多くなったといい、
式内社・佐陁神社の論社であるという。
明治初年の式内社選定に際し、
昔から佐陁大川明神と称されていた大川神社が式内佐陁神社と指定されたが、
当社の澤神社が佐陁神社であると異議を申し立て、
明治十年、大川神社の式内指定は取り消されたという。
境内右手の庫に、菱紋が付けられていた。
社殿の左右に境内社が3つ。
はっきりと確認したわけではないが、
『式内社調査報告』に、二坪、一坪、半坪と
三社の規模が記されており、その記述から考えると
社殿左手に、摂社若宮神社。
右手の大きな方が摂社・国造神社。小さな方が摂社・八坂神社だと思う。
が、国造神社らしき祠には、小さな狐が並んでおり、
稲荷社として祀られている様子。
また、若宮神社の祭神は、『平成祭データ』では伊邪那岐命となっているが、
『式内社調査報告』では細川家家臣・助太郎。
細川幽斎の子が若年の時悪行多く、
近習・助太郎を手打ちにしたところ、不思議なことが郡出したので
助太郎の霊を慰めるために社を建立したらしい。
式内社として争った大川神社境内に、
「若宮神社・大嶌神社・澤神社・廣峯武大神・愛宕神社」と刻まれた石碑があったが
澤神社、大嶌(大嶋)神社、若宮神社は、当社境内の三社のことだろう。
社頭 |
鳥居 | 参道 |
境内 |
社殿 |
拝殿 | 拝殿から本殿 |
左が澤神社、右が大嶋神社 |
社殿左の境内社 | 右の境内社 |