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石屋神社
いわやじんじゃ
兵庫県淡路市岩屋字明神799
いざなぎや いざなみ渡る春の日に いかに石屋の神ならば神
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式内社 淡路國津名郡 石屋神社 |
淡路島の北端、淡路市(旧淡路町)にある。
神戸淡路鳴門自動車道の淡路I.C.の近く、
岩屋海水浴場に面して、東向きに鎮座。
夜の高速を飛ばして、参拝は、朝の六時前。
上り始めた朝日を受けて、黄金に輝いていた。
道路に面して、かなり横に長い侍長屋形式の門守殿があり、
その中央に入口の鳥居が立つ形式。
鳥居をくぐり、階段を上ると境内。
境内は駐車場になっているようで、数台の車が駐車中。
正面の階段を上ると、社殿がある。
拝殿には、「天地大明神」の扁額。
この文字は、小野道風の書らしい。
拝殿の後方には、周りを板で覆われた本殿。
創祀年代は不詳。
天地大明神とも、岩屋明神、絵島明神とも呼ばれた神社。
神功皇后三韓征伐のおり、
対岸の明石垂水の浜で風波にあわれ、
渡海に難渋し、風待ちのため、岩屋に着岸。
三対山上の石屋明神に参拝し、戦勝を祈願され、
「いざなぎやいざなみ渡る春の日にいかに石屋の神ならば神」
と詠じ給うと、風波が止み、海上は静まったという。
もとの鎮座地は、現在地の300m北にある三対山(城山)で、
後土御門天皇の御代、大内義興による築城の際に、
現在地に遷座させられた。
絵島明神の絵島とは、三対山の麓、岩屋港にある小島の名前。
三対山の北側には伊弉諾尊がかくれ給うた幽宮であると伝承される洞窟があり
小祠が祀られているが、見忘れてしまった。
祭神は、國常立尊・伊弉諾尊・伊弉冉尊の三座。
一説には月読尊とも、伊都之尾羽張神とも。
境内の右手には稲荷神社、左手に八百萬神社がある。
社殿外観 |
社殿 | 社殿 |
八百萬社 | 稲荷社 |
天地大明神の扁額 | 本殿 | 拝殿 |
御由緒
創立年月不詳なれども伝へいう崇神天皇(第十代天皇)の御代三対山に鎮座せられ絵島明神といい
垂仁天皇(第十一代天皇)の御代石屋明神という神功皇后(皇紀八百六十年頃)三韓征伐の際対岸
明石郡垂水の浜より当浦に着船せられ三対山の頂上に於て戦勝を祈願せられ凱旋の時又参拝ありて
報賽せらるるという延喜式の制小社に列し白河天皇(第七十二代天皇)承暦四年禍穢によりて使を派し
清祓を科すべき事を卜奏せり二条天皇(第七十八代天皇)長寛元年「天地大明神」と勅定せられ神階を
昇叙し神供田を寄進せらる源平争覇の頃岩屋浦兵火の巷と化せしかば当神社多く什宝古記録の烏有に
帰せしめたり土御門天皇(第八十三代天皇)の御代大内義興将軍義植を奉じて京都に入らんとし当地に
軍を進め三対山に岩屋城を築きし時当神社を海浜なる今の地に遷座せり池田氏淡路を領せし際社殿を再興し
寛政八年領主蜂須賀候親しく参拝し文化十四年又直参を見たり明治六年二月郷社に列せらる。−『平成祭データ』− |
【 石屋神社 (淡路市) 】