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石部神社
いそべじんじゃ
兵庫県豊岡市出石町下谷62
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式内社 但馬國出石郡 石部神社 |
兵庫県の豊岡市出石町にある。
出石城跡の東700mほどの出石町下谷に鎮座。
谷山川に沿って東西に走る、253号線の北側に境内がある。
狭い253号線に面しており、境内の向きは南向き。
西隣には高校、谷山川を挟んで南には吉祥寺がある。
境内入口の右には「式内 石部神社」、
左に「皇大神宮」と刻まれた社号標が建っている。
参道を進むと、意外と広い境内。
御神木の大きな欅の樹が聳えている。
案内板によると樹高30mらしい。
境内北側の高い位置に三つの社殿が並んでいる。
参道正面の社殿は、当社の社殿。
拝殿の扁額には「礒部大明神」と書かれている。
拝殿の後方には、春日造のような本殿がある。
左手にある同じ規模の社殿は、皇大神宮のもの。
よく読めない扁額は、たぶん「神明宮」と書かれている。
その右横には、「多茂宮」「稲荷宮」という
縦書きの扁額があるが、これらは合祀された神社のものだろう。
皇大神宮と当社の間には、小振りの祠。
天満宮のものだろう。
創祀年代は不詳。
当初は坪井村に鎮座していたという。
式内社・石部神社に比定されている古社。
江戸時代、小出・仙石両藩主の崇敬を受けていた。
祭神は、案内板によると天日方奇日方命。
『式内社調査報告』には、八柱大神と記されている。
八柱大神とは、天日方奇日方命(櫛御方命)・
大己貴神・大物主神・大国魂神・事代主命・媛踏鞴五十鈴姫命・
溝樴姫命・活玉依姫命。
『平成祭データ』には、天日方奇日方命・
大山積神・大己貴神・大物主神・事代主命・
健御名方命・高彦根命・瀧津彦命と記されている。
要するに天日方奇日方命と配祀の神々ということらしく
石邊公の祖神・久斯比加多命(天日方奇日方命)を祀る神社。
また、天日矛命の後裔を祀るとする説もある。
出石町は、出石藩の城下町だが、出石そばでも有名な町。
出石町の神社参拝のあと、
そばでも食べようかと考えていたが
参拝途中に、そのことを忘れてしまい。
結局、食べていない。残念。
出石そばは、宝永三年(1706)、
信州上田から国替えになった仙石氏が
そば職人を連れてきたことにはじまると言う。
上田市に住んでいる僕としては
どんなそばか興味があったのだが。
境内入口 |
鳥居 | 境内 |
境内 |
皇大神宮と小さな天満宮 | 拝殿 |
境内 |
本殿 | 拝殿 |
逆光の大ケヤキ |
「石部神社」の由緒
石部神社は、御祭神を「天日方奇日方命」と申して
延喜式神名帳(一、一〇〇年前)に記載されている由緒の
ある神社です。その神前には、ご神木の大ケヤキがそびえています。 この木の樹齢は一千年といわれ、幹の周囲は八メー トル、高さ三十メートルあります。 長年の風雪に堪えて幹には苔を帯びています。 「健康長寿」「幸福安全」を願って、昔から「幸の大ケ ヤキ」と呼ばれています。 境内には「皇大神宮」と「天満宮」がまつってあります。 −境内案内板− 御由緒
神社創立の年代は、あまりにも古代に遡るため明らかではありませんが、式内神社として、平安時代の延喜式神名帳に登載されているところから、少なくとも千百年以前には、この地に鎮座され、人々の崇敬と参詣により祭儀が盛大に執り行われていたと推定されます。祭神は、この出石の地を拓き、国造りに貢献され、偉大な功蹟をのこし、あまたの信望をあつめられた、天日方奇日方命を祀るといわれ、古来より、五穀豊穣、家内安全の祈願がなされ、人心不安な時代に遇っても、祭事は絶えることなく今日に及んでおります。時代の推移や社会の変遷に伴い、商業繁栄や交通安全の祓い多岐多様な様相をもたらしておりますが、いつの時代にあっても、産土大神(氏神様)として、初宮詣り、七五三詣りなど、子等のすくすくと育ち、立派な成長を願わない時はありません。 さて、天明年中ですので今から二百年程前の事、谷山で大火が発生した際には、時の城主仙石公が出馬され、当社頭で消火の指揮をとられたということです。火は折からの烈風に煽られて燃え拡がったところ、いかなる御神威か、社殿屋上より大雨が降り注ぎあたり一帯の火は消滅したと伝えられます。 現在の神殿は、昭和九年に、氏子崇敬者である、一瀬粂吉氏により、一建立されました。新築の神宮造りとして、社殿は木の香も高く堅実美麗なたたずまいを誇っています。 −『平成祭データ』− |