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伊達神社
だてじんじゃ
京都府亀岡市宇津根町東浦1−2
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式内社 丹波國桑田郡 伊達神社 |
京都府亀岡市にある。
亀岡駅の北西1.5Kmほどの宇津根町東浦に鎮座。
402号線から405号線に入り、山陰本線を越えて
北へ100mほど進むと、寺の南に境内がある。
寺の名前は、境内案内には「宝蔵寺」と書かれていたが
資料書籍や地図には「法蔵寺」とある。
境内の入口には石鳥居があり、鳥居の右脇に社号標。
社号標や鳥居扁額には「延喜式内 伊達神社」と書かれている。
鳥居をくぐると、正面には境内社の稲荷社。
参道を左に曲がると鳥居があり、奥に社殿。
社殿は、拝殿はなく本殿だけのシンプルな構造。
だが、その本殿を覆うように大きな瓦葺の覆屋があり
僕には小さな城のように思えたのだが、
今考える、それはちょっと違うかもしれない。
境内案内によると、本殿は
切石積基壇の上に土台をすえて建てられていると記されている。
創祀年代は不詳。
延享四年(1747)の大堰川の氾濫により、
隣接の宝蔵寺とともに流出してしまったため古記録が残っていない。
江戸時代までは宝蔵寺の境内社であったが、
明治の神仏分離に際し、宝蔵寺南隣の現在地に遷座した。
『式内社の研究』には、大正四年まで寺内にあったとある。
創祀の頃は、宝蔵寺の位置にあったと思われる。
式内社・伊達神社の論社。
祭神は、素戔鳴尊の御子の五十猛命。
「杉、檜、楠」など八十木種を播き育てた植林の神。
『式内社の研究』には、本殿下に清泉が湧いているとあり
古代では湧水も湯と言ったらしく、湯立が訛って伊達となったと。
一説には、陸奥の藤原秀衡の三男泉三郎忠衡の別荘があり
その霊を祀って伊達宮と称したとか。
また、加塚の同名社から分祀されたとも。
社頭 | 鳥居扁額 |
境内 |
鳥居と社殿 | 稲荷社 |
社殿 | 本殿 |
伊達神社
当社は平安時代中期に編纂された『延喜
式』「神名帳」にも記載された古社です。
延享四年(一七四七)の大堰川の氾濫によ
り、隣接の宝蔵寺とともに流出し、記録類
も失われました。祭神は、素戔鳴尊の御子の五十猛命で、 「杉、檜、楠」など八十木種を播き育てた 植林の神です。 現在、宝蔵寺に接していますが、江戸時 代には、宝蔵寺の境内社で、明治の神仏分 離に際し現在地に移転しました。 本殿は、切石積基壇の上に土台をすえて 立つ小型の一間社流造です。その基壇には 「寛政元酉年再建」の刻銘があり、寛政元 年(一七八九)の造営であることがうかが えます。 造りは、繊細で細部まで手が込んでおり、 境内社としてはかなり立派なもので、江戸 期の寺院鎮守社にふさわしい本殿です。 −境内案内板− |
【 伊達神社 (亀岡市宇津根町) 】