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村屋坐弥冨都比売神社
むらやにますみふつひめじんじゃ
奈良県磯城郡田原本町大字蔵堂字大宮426
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式内社 大和國城下郡 村屋坐弥富都比賣神社 大 月次相嘗新嘗 |
奈良県田原本町にある。大和川の側に鎮座。
境内は広く、境内社も数社あり、
その幾つかも式内社とされている。
本殿は、二棟並んだ朱塗りで美しい。
通称、「守屋の宮」「森屋の宮」「森屋明神」。
天武天皇元年(673)。壬申の乱の時、村屋神が、神官に神懸り、
「わが杜の中を敵が来る。社の中の道を防げ」と
軍備に対する助言をした。
その功績により、天皇より位階を引き上げられたと、
日本書紀に記されている。
式内社・村屋坐弥富都比賣神社に比定されている古社で、
延喜の制では、大社であった。
境内摂社の服部神社は、式内社・服部神社に比定されている。
元は、大安寺の波津里神にあったが、
天正の兵火にかかり焼失し、現在地に遷座。
大安寺に服部氏が居住しており、その祖神を祀ったもの。
境内摂社の村屋神社は、式内社・村屋神社に比定されている。
元は、当社の東の宮山に鎮座していたが、
天正の兵火にかかり焼失し、現在地に遷座。
本来の祭神は、武甕槌神と経津主神の二座であったらしい。
境内摂社の久須々美神社は、式内社・久須々美神社に比定されている。
元は、字宮ノ山という古木の茂みの恵比須井付近に鎮座していたが
洪水のため、天正十二年、森屋垣内に遷座し、
その後、当社境内へ奉遷したという。
「神社名鑑」には神紋・五七の桐とあるが、菊しか確認できなかった。
参道入口の一之鳥居 | 境内入口の二之鳥居 |
拝殿 | 本殿 |
本殿 |
拝殿左の服部神社 | 拝殿右の村屋神社二祠 |
参道の庚申さん | 枯れた池にある 物部神社・市杵島神社 | 保食神・道祖神 |
久須々美神社がどこにもない。変わりに、若宮 恵比須神社があった。
久須々美神社の側には恵比須井手があったらしく、どちらも事代主命が祭神。
多分この恵比須神社のことだろう。ただし、確認できず。
2000.2.26 関西在住の「神奈備にようこそ」サイトで確認していただいた。謝。
恵比須神社(久須々美神社) |
村屋坐弥冨都比売神社(守屋の宮)旧県社 磯城郡田原本町蔵堂 近鉄線 田原本町駅より東四粁 祭神 弥冨都比売命 大物主大神 例祭 一〇月一〇日 神紋 五七の桐 本殿 流造 朱塗 六坪 境内 三三八〇坪 末社 五社 宝物 弓 一張 氏子 八〇〇戸 崇敬者 四〇〇〇人 神事と芸能 御田植祭、綱掛行事 由緒沿革 崇神天皇の御代七年伊香色雄命を して祭らしめ、後垂仁天皇の御宇伊色雄命の 子物部十市根命をして、大物主命を併せ祭る 延喜式内大社にて官幣に預り給えり。天武天 皇御代大友皇子と争い給いし時(壬申の乱) 天皇河内より当社の森に逃れ給いし時神主守 屋朝臣喜久麻呂天皇を守護し奉り、其神託に より大勝を得給いしより御即位御位階を贈り 給いて神恩に謝し給う。 −『神社名鑑』− |