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大田神社
おおたじんじゃ
京都府京都市北区上賀茂本山340
神山や 大田の沢のかきつばた ふかきたのみは色にみゆらむ
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式内社 山城國愛宕郡 太田神社 |
上賀茂神社の東にある境外摂社。
入口の案内には「天鈿女命・猿田彦命」とあるが、
参道の案内には「天鈿女命一柱一座」とある。
猿田彦命は太田命ともいうので、社名はこれにちなんだらしい。
結局、両方か?
創祀年代は不詳。
式内社・太田神社に比定されている古社。
一説には、壬生・丹生・小野・六人部などの氏族が当地に奉祀していたが
後に、賀茂一族が当地に入ってからは、その摂社となったとも。
社名の大田神社に関して。
延喜式九條家本では「太田」、その頭注には「大田」、吉田家本では「大田」。
結局「大田」が正しいらしく、現社名は「大田神社」。
ただし「太田神社」「御多神社」と記す場合もあるようだ。
『光経家集』に、病気になったので、
託宣により大田社に歌合して奉ったところ、翌日には平癒したという。
現在でも、方除・病気平癒の信仰があるらしい。
境内末社の造りは上賀茂神社と同じだ。
上賀茂神社の管理なんだろう。
本殿の写真がない。撮り忘れたか。撮ったつもりだったが。
境内 |
鳥居 | 白鬚社 猿田彦神 |
百大夫社 船玉神 | 鎮守社 大国主神、少彦名神 |
拝殿 |
参道の案内には、天鈿女+猿田彦+船玉の三柱に、
末社福徳神を加えた四柱で大田神社、と書いてある。
が、その「福徳」は見当たらない。
『式内社調査報告』では、鳥居の外、クスノキの大樹の下に祀られているとあるので
見逃したのだろう。
大田神社 古くは恩多社と呼ばれたこともあり、上 賀茂神社の攝社である。祭神は天鈿女命と 猿田彦命を祀っており、延喜式内の古社で、 この付近の沼沢池を開墾して栄えた賀茂氏の 崇敬を受けた神社である。 右方東側の沢池を「大田の沢」といい、野生 のかきつばたが美しい。藤原俊成の古歌に 神山や大田の沢のかきつばた ふかきたのみは色にみゆらむ と詠われ、平安時代からこの付近の沢地には、 かきつばたが咲きみだれて、名勝となっていた ようである。現在でも五月中旬には、濃紫、 鮮紫の花が美しく咲く。このかきつばたの 群落は、国の天然記念物に指定されている。 なお、例祭は四月十日と十一月十日である。 −入口の案内− 賀茂別雷神社第三摂社式内 大田神社 御祭神 天鈿女命 一柱一座 末 社 白鬚社 東側に鎮座 御祭神 猿田彦命 一柱一座 末 社 百大夫社 西側に鎮座 御祭神 船玉神 一柱一座 御事歴 大田神は一に恩多神といひ、天鈿女命 を祀る。賀茂に於ける最古の神社で古来長 寿福徳の神としての信仰がある。賀茂別雷 神社の御鎮座以来攝社として尊信を捧げ てゐる。延喜式内の古社である。保安元年二 月廾六日鳥羽天皇の本宮行幸の際、始めて 官幣に預り、その後度々この事が行われた。 近世以来宮家その他貴顯の信仰篤く、春護 成とて御神の春族となって寿命長久を希 ふ儀が行われる。 例 祭 四月十一月十日 正五九月の各十日御内儀祈願祭 例月十日夜、里神楽奉参 末社御事歴 猿田彦神 は天孫降臨に際し、御前を承られた神、 道路安全の御神徳が高い。 船玉神 は船霊神である。航海魚漁守護の神。 又岐神。道祖神として崇められ道路の安全をも 司り給ふ。 総合御神徳 大田神を中心とする以上三柱の 神は、末社福徳神を加えて、何れも福神とし ての高き御神徳を有たせられる。これ等四 柱の神を以って、所謂大田神社が形造られ るので、四神不可離の関係に立たせられて ゐる。されば、大田神といへばこれ等四柱の 神神を総括した神として崇め奉るのが本肯である。 −参道の案内 一部の文字は不鮮明なので違うかもしれない− |
【 大田神社 】