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熊野本宮旧社地 大斎原
くまのほんぐうきゅうしゃち おおゆのはら
和歌山県田辺市本宮町本宮
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式内社 紀伊國牟婁郡 熊野坐神社 名神大
元境内摂末社合祀別社には以下のものがある。 |
熊野本宮大社の旧社地。
本宮大社から、168号線を渡り、狭い道の先にある河原の森。
明治二十二年六月、洪水で流出した社を石祠に祀る。
二祠あり、東側に中四社と下四社。西側には元境内摂末社を合祀。
中州の周囲を木々で囲み、「舟形」の社地であった。
熊野川を下る船に見立て、熊野の神を「船玉」と云う場合がある。
昔は、中州への橋がなく、参詣者は音無川の清流を歩いて
社地に入った。これを「ぬれわらじの入堂」とよぶ。
一種の禊祓である。
資料提供 みくまのねっと
現在、森の前には大鳥居が出来ている。
明治の流出以降、更地になっているが、社地復元の話はないのだろうか。
森へ続く道の分かれ道の先に、伊邪那美命荒魂を祀る産田社がある。
産田社が旧社地の森を見守っているようだ。
大鳥居 | 石祠 |
境内 |
左(西)摂末社合祀別社。 底海神社,御戸開神社など | 森の中の参道 | 右(東)が中四社・下四社 |
産田社 | 産田社 |
旧社地 「大斎原」 太古より熊野牟婁郡音無里(本宮町本宮)ここ 大斎原に鎮まり、第十代崇神天皇の御代に至り、 社殿が創建されたとあります。史上有名な中世に 於ける「熊野御幸」は当聖地で宇多上皇より亀山 上皇に至る迄、歴代上皇、法皇、女院の行幸啓は 百数十度に及び、奈良朝の頃より本地垂跡説が行 なわれ、仏教をとり入れ、御祭神に仏徳を仰ぎ奉 り「熊野三所権現、又熊野十二社権現」と証われ て隆盛を極め、その後も公郷、武門、一般庶民に 至るまで朝野の参詣絶ゆることなく繁栄を続け、 時宗の開祖、一遍上人もここ証誠殿にて熊野神勅 を授かり成道したと伝えられています。時宗歴代の 上人(今日まで七十三代)は、宗門を継ぐ際は必ず当 大社に参拝奉告、時宗護法の神と崇めて今日に及 んでいます。 不幸にして明治二十二年の大水害にて八神殿は 倒壊、石祠にお祀り申し上げ主神の四神殿を、こ こより上流七〇〇米の高台にお遷り又と得がたい聖地で すから左記厳守され後世に伝え度く存じます。 一、火気厳禁のこと。 一、使用の際は神社の許可を得ること。 一、使用後は後始末を確実にして、その旨報告せられたい。 一、みだりに各所を撮影し他に利用しないこと。 −案内書きより− |
【 熊野本宮旧社地 大斎原 】