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伊福部神社
いふくべじんじゃ
兵庫県豊岡市出石町中村809
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兵庫県豊岡市にある。
豊岡駅から南東に10Kmほどの出石町中村に鎮座。
426号線を南下し、円山川にかかる円山大橋を渡ってさらに南下。
出石川に沿って、さらに426号線を南東へ進み、
426号線から、出石川支流奥山川に沿って
10号線を500mほど南下すると、
10号線の東側に、西向きの境内がある。
境内は10号線の東側だが、10号線の西側に鳥居が建っている。
道路に面し、石の垣に囲まれた境内は清潔で、
昇る朝日を背に受けて、
ひっそりとというか、すっきりとした佇まい。
境内に入ると、右手に手水舎。
鳥居の左手に「郷社伊福部神社」と刻まれた社号標。
境内中央には、入母屋造瓦葺の拝殿があり、
その後方に、銅板葺入母屋造の立派な本殿がある。
本殿の右手に福徳稲荷神社、
左手には(たぶん)天満神社が祀られている。
境内右手に、小さな観世音菩薩があり、
その脇に、上に登る階段。
階段を登っていくと、立派な愛宕社があり
扁額には「愛宕大権現」と掲げられている。
創祀年代は不詳。
一説に、天平十九年八月十五日、
伊福部連が祖神である天香山命を祀った神社。
また、天日槍命の現御身を弘原の榎見の五師という地に
隠し祀ったことにより五師宮とも称し、
後に伊福部の地に遷し祀られた神社であるとも。
この天日槍命の現御身を祀る伝承からか、
伊福部との名前の近似からか
当社は、式内社・大生部兵主神社の論社となっている。
拝殿の由緒書きには、
成務天皇四年二月、国造船穂足尼が素盞嗚尊を祀ったあり
現在の主祭神は、素盞嗚尊となっている。
江戸時代田畑の寄進があり高十石を有していたが
天保十年十二月社殿が炎上。
安政二年、本殿を造営。
明治六年十月村社に列し、
大正十年三月郷社に昇格した。
奥宮的位置にある愛宕神社は、
当社が天保十年に炎上した後に、
火防の神として、山城国愛宕神社を勧請したものらしい。
また、『兵庫県神社誌』には
「室殖村福住の東北に當り砂巻荒神と称する一小祠あり
是れ伊福部神社修験の古跡なり」とあるが、
今も残っているのだろうか。
社頭と参道鳥居 |
境内入口 |
拝殿 | 社殿 |
本殿と稲荷社 |
天満社と本殿 | 境内右手に愛宕社参道階段 |
愛宕社 | 愛宕社 |
愛宕社参道から境内 |
伊福部神社御由緒
当社は素盞嗚命、天香山命、
伊福部宿弥命を奉祀す。創立年
度不詳なれど天平十九年伊福部連
其祖天香山命を祀ると。又成務天皇四
年二月國造船穂足尼素盞嗚命を
祀る大生部兵主神社を弘原庄中村に
鎮座し之を大生部神社と崇めた。「日本書紀」
天正四年出石領主山名家より田
畑三町歩の黒印を受く。又江戸時代
氏子より田の寄進あり石高十石を
有すも天保四年社殿炎上安政二年
本殿再建にあたり出石藩主仙石讃岐守より
寄進あり現在の社殿が造営された。−拝殿由緒書− |