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畝尾都多本神社
うねおつたもとじんじゃ
奈良県橿原市木之本町114
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奈良県橿原市にある。天香久山の西に鎮座。
道路に案内板があるが、別の案内板には「哭沢女神社」ともある。
境内入口の正面には、八幡宮がある。
そちらが本社のような位置関係だ。
昔は八幡宮が主役だった時代があったのだろうか。
本殿はなく、瑞垣の中の地面にすだれ(?)がある。
井戸を御神体とする神社だ。
創祀年代は不詳だが、万葉集に、
哭澤の神社に御酒すゑ祈れども我が王は高日知らしぬ
と歌われている古社。
桧隈女王が当社を恨む歌だそうで、
持統天皇十年(696)七月十日に薨じられた高市皇子の延命を願ったのに
叶わなかったということらしい。
境内全体が泣沢の森といい、水の神であり延命の神であった。
本居宣長は「人命を祈る神」、平田篤胤は「命乞の神」と言ったらしい。
式内社・畝尾都多本神社に比定されている古社。
天香山坐櫛真命神社・坂門神社・畝尾坐健土安神社とともに、
「天香山坐四處神社」と称している。
参道入口から境内。正面に八幡宮が見える。 |
拝殿 | 瑞垣内に井戸 |
参道正面の八幡宮 | 境内社 |
稲荷社 | 境内の石、読めなかった |
此の神社は古く古事記上巻約千二百五十年前
香山の畝尾の木本に坐す名は泣澤女神日本書
記畝丘樹下所居神延喜式神名帳畝尾都多本神
社鍬靫万葉集巻二或書の反歌(類聚歌林檜隈女
王の歌であり) 石長比売神は寿命を司り泣澤売神は命乞の神 なり(平田篤胤玉襷) 春雨秋雨等語源的に澤女は雨に通ず水神なり (本居宣長古事記伝) −境内石碑のまま記す− |
【 畝尾都多本神社 】