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潮崎本之宮神社
しおざきもとのみやじんじゃ
和歌山県東牟婁郡串本町串本1517
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式内社 紀伊國牟婁郡 海神社三座 |
串本町、潮岬の付け根にあたる。
串本高校の西に鎮座。
拝殿脇に、見事な柏槙(びゃくしん)の巨木がある。
式内社・海神社の論社の一つ。
元禄十年の『由緒』によれば、当社の建立は応神天皇によるもの。
天明八年の『縁起』では、応神天皇が
「南海に船を浮べ大水門浦へ御船を寄せさせ給ふ
其時此社を建てさせ給ひ三神の大神を祭り給ひて
海神社御本宮と号す」とある。
通称、『元の宮』と呼ばれ、
境内からは弥生式土器なども出土し、近くには笠島遺蹟がある。
大正十四年郷社に昇格した。
質素な拝殿の後方に、南向き・権現造の本殿がある。
境内は広いのに、社殿は窮屈な場所にある感じだ。
境内入口の鳥居 |
拝殿 | 本殿 |
境内 |
社号標 | 柏槙 | 境内末社の香椎神社か |
潮岬本之宮神社 旧郷社 西牟婁郡串本町 祭神 底筒男命 中筒男命 表筒男命 例祭 一〇月一五日 由緒沿革 神功皇后の御時、坂、忍熊の二王の 不軌を計るに遭い給うたので皇后は武内大臣 をして皇子(応神天皇)を奉じて紀伊に赴か しめ、大水門浦に御船を寄せさせ給せ、住吉 の大神を祭られたと云われている。大正一四 年郷社に昇格す。境内に柏槙の老樹あり珍木 として有名である。 −『神社名鑑』[原文ママ]− |
【 潮崎本之宮神社 】