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八幡神社
やわたじんじゃ
滋賀県長浜市木之本町飯浦511
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式内社 近江國伊香郡 波彌神社 |
滋賀県の木之本町飯浦にある。
琵琶湖最北部に近く、
以前は竹生島へ渡る船の港があったのだが、今もあるのだろうか。
社前の道路から琵琶湖を眺めると、遠くに竹生島が見える場所。
藤ヶ崎トンネルと賎ヶ岳トンネルの中間点。
8号線から514号線が別れて、緩やかに上る坂道の途中に境内がある。
数段の階段を上り、鳥居をくぐると社殿のある境内。
滋賀県の神社に多い形式で、拝殿は舞殿風、本殿は覆屋の中。
境内が盛り土されたのだろうか、
境内にある木の根元が、丸い石組があり、
まるで、石井戸から生えているような感じだった。
社伝によると、土御門天皇建仁年中の創祀。
『式内社調査報告』によると、
『近江伊香郡誌』には、
「八幡神社、大字飯之浦、式内波彌神社是也、
古記に波多八代宿禰波美臣之祖也在飯浦村にあり、
文治年中源義経奥州に赴く時、其臣内貴土佐當地に来り
居を構え當社を奉祀すと云う。」とあり、
当社を、式内社・波彌神社に比定しているが、
『式内社調査報告』では、当社・八幡神社に波彌神社が合祀されているとある。
『滋賀県神社誌』にも、
「本来延喜式内社波彌神社にあたる神社であろうと云われている」と記されている。
が、同書には、「境内社 波彌神社」となっており、
本社・八幡神社とは別であるかのようにも見える。
実際に参拝した時は、上記の記述を知らず
無為に参拝したため、境内社の記憶が無いのだ。
ひょっとすると覆屋内に小祠があったかもしれないが、
確認していない。
ところで、波多八代宿禰命を祭神とする理由は、
「波彌」を「はみ」と読み、古事記記載の波美臣の祖であり、
武内宿禰の子である、波多八代宿禰命としてものだろう。
異説として、「波彌」を「はなみ」と読み、
花波神を祀るとする資料もある。
京都北部・丹後地方にも同名の式内社・波彌神社が存在するが
そちらは、「はみ」から建埴安命となっている。
神紋は、現地では未確認。
八幡宮なので巴紋だと思うし、『滋賀県神社誌』にも左三つ巴と記されている。
鳥居 | 社前から遠くに竹生島 |
境内 |
本殿覆屋 | 境内の木の根本 |