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小槻神社
おつきじんじゃ
滋賀県草津市青地町873
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滋賀県草津市にある。
草津駅の南東3Km、南草津駅の東3Kmほどの青地町に鎮座。
名神高速の近くに境内がある。
境内入口は西向き。
鳥居の脇に「式内 小槻神社」と刻まれた社号標が建っている。
鳥居をくぐり参道を右手に進むと、
石垣の上、社殿の建っている砂利の境内。
この石垣は、明治14年の造営の際
発見された古墳の石材を用いたものらしい。
階段を上ると境内中央に拝殿。
参拝は、年末の休日。
迎春準備のためか、拝殿には紅白の幕が付けられていた。
拝殿の後方、石組の上に、
垣に囲まれて、流造の本殿。
本殿の左右に、境内社の祠があり、
透垣の間から、見ることができる。
案内によると、本殿の右が日吉社・貴布祢社で、
左が恵比須社・熊野社。
ただ、左の祠は三扉なので、
もう一社(あるいは一座)祀られているのではないか、と思う。
創祀年代は不詳。
当地方に勢力のあった小槻山公が
その祖・於知別命を祀ったのが創祀だと思われる。
天徳三年、志津池のほとりの現在地に遷座され、
「池の宮」と称されていた。
(古社地は不明)
式内社・小槻神社に比定され、
天正九年宗源宣旨に、正一位池宮大明神の号証を残した古社。
中世には天児屋根命を合祀した。
社地に隣して館を設けていた近江国守護職佐々木氏の一族・青地頼定は
貞治三年願主となって神輿を奉献。
以後、例祭には城中に神輿を迎えて礼を尽くしたという。
明治九年村社に列し、同十四年大造営の後、同十六年郷社に昇格した。
境内左手に、龍王池があり、龍王社が祀られている。
由緒書きによると、龍王像を池に沈めて雨乞いをしたらしい。
賽銭箱や、提灯に藤紋が付けられている。
春日系の神社らしく、鹿の像もある。
参道には野上社・八幡社。
『滋賀県神社誌』によると、境外社として
八幡神社(馬場)、若宮神社(岡本)、神明神社(青地)があるらしい。
この神明神社は、貞観十六年に勧請されたものだという。
また、境内社の貴布祢社は天正六年六月の勧請。
八幡社は、小字上田の山上鎮座のものを、
大正四年十月に境内に遷し、小字山田の野神社を合祀したもの。
社頭 |
参道の野上社・八幡社 | 御神鹿像 |
境内 |
拝殿と古墳の石材の石垣 | 神庫・神輿蔵 |
龍王池 | 本殿 |
本殿 | 本殿 |
本殿参拝 |
本殿左の恵比須社・熊野社 | 本殿右の日吉社・貴布祢社 |
延慶宝暦年間二度社殿宝蔵を焼き惜くも古記神宝を失い ましたが天正九年(一五八一年)宗源宣旨正一位池の宮大明 神号証を現存します 貞治三年(北朝)(一三六四年)青地城主神輿造営以来例祭には 城中に迎えて礼を尽し下戸山小槻社に向い尚小汐井社を 経て還御後年これを廃し後日の証として瓶一個宛を別ち 今も小汐井社の神宝となし当社は焼失した模様です 弘長永禄年間崇敬厚き青地城主は幾度か寄進修造を重ね て明治十四年御本社大造営の結果現社容を拝し同十六年 郷社に加列せらる 当社には伝来の龍神池龍王像を安置尊像を池中に沈めて 喜雨を得近邑の人々大いにこれを祈ります
−境内石碑−
然るに後年比叡山の従人三丈坊某山田に住し歳旱せば 神池の水を山田の用水に引かんとするを時の城主青地 河内守は城の要害殊に神号ともあるを以って許さず。彼強 引にも池に兵船を浮めて軍の催しをする等の暴挙に出て 青地より観音城へ言上の末こは事重く郷庄の騒動なりと 堤を切らせ水を捨て少しの池を森の裾に移して事治まり 今に旱魃の雨乞いを願成就せずをいうことなし。
−境内石碑− |