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談山神社
たんざんじんじゃ
奈良県桜井市多武峰319  Zenrin Data Com Maps display !!


上がり藤

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旧別格官幣社

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御祭神
藤原鎌足公

奈良県桜井市にある。
桜井駅から南へ7Kmほどの多武峰に鎮座。
37号線を南下し、155号線に入って西へ500mほど。
参道には、屋形橋や東大門、重文の摩尼輪塔や石灯篭などが点在している。

境内入口は南向き。入口で受付をして参拝開始。
とにかく広いので、どのような順路で回っても良いと思うが、
とりあえず西側から参拝。

旧妙楽寺講堂の神廟拝所、八百万神を祀る日本総社、
定恵が法華経を講じた時、龍王が出現した閼伽井屋を通過すると
境内社が並んでいる。

参拝当日は工事中で、足場が組まれていた。
ちょうど、工事の人たちが休憩していたので、
一声かけて参拝し撮影したが、良い写真は撮れなかった。
神明神社、杉山神社、山神神社、比叡神社、稲荷神社、龗神社などが鎮座している。
境内社の脇に、鎌足公の墓所がある御破裂山や、本殿裏山の談い山への登山口がある。
が、時間がなかったので断念。今は非常に後悔している。

境内社群から東へ進むと、定恵が父鎌足公の供養のために建てた十三重塔婆。
さらに東へ進むと楼門がある。楼門の奥に拝殿があり、
拝殿の北側、透廊に囲まれる位置に本殿がある。
拝殿の中では、祭神の御影や仏の絵などが展示されている。
本殿・拝殿などの社殿の東西に宝庫があり、こちらも重要文化財。

拝殿から東へ進むと、定恵・不比等兄弟を祀る東殿。
さらに東には春日社、如意輪観音堂、三天稲荷神社が祀られている。

中大兄皇子(天智天皇)に協力して「大化改新」を成しとげた藤原鎌足を祀る神社。
当山の藤の花の下で談合したといい、山名を「かたらい山」という。

天智天皇八年(669)十月、祭神薨去の際、
天皇より藤原の姓を賜わり、大織冠内大臣という人臣最高の位を授けられた。

御墓は摂津国阿威山に造られたが、父の死を知らず唐で仏教を学んでいた長男定慧が、
天武天皇白鳳七年(679)帰朝し、弟不比等と相談の上、
鎌足公生前のゆかり地である多武峯に改葬し、
十三重塔婆、講堂を建立して妙楽寺と称した。

後、文武天皇大宝元年(701)方三丈の神殿を建て、
鎌足公の御神像を安置したのが当社の創祀。

明治維新後、「かたらい山」の故事から「談山神社」と名づけられ、
明治七年、明治天皇の勅により別格官幣社に列せられた。


参道の屋形橋

東大門

重文 摩尼輪塔

重文 石灯籠

竿に「元徳三年」の刻銘

境内入口

重文 神廟拝所(旧講堂)

重文 日本総社拝殿

重文 日本総社本殿

重文 十三重塔婆

重文 閼伽井屋

権殿

重文 楼門、奥に拝殿

重文 本殿

拝殿外の廊下

拝殿下

重文 東殿

如意輪観音

春日社

三天稲荷神社

龗神社

杉山神社と神明神社


稲荷神社

重文 比叡神社
工事中だった


山神神社

重文 東宝庫

重文 西宝庫

談山神社大化改新発祥之地
大和国多武峯鎮座
御祭神 藤原鎌足公
藤原鎌足公は、推古天皇二十二年(六一三)、中臣御食子卿の長子として 大和国高市郡大原に生誕され、幼名を鎌子と称した。中臣氏の祖は 天児屋根命にて、代々神事を司どる家柄であり、公はその二十二代孫に当られる。 公は至誠一貫朝廷に仕え、皇極天皇の御代には中大兄皇子(後の天智天皇)と共に 当神社本殿裏山の談山に於て国家革新を計り、ついに大化元年(六四五) 「大化改新」を成しとげられ、更に近江大津遷都などの国家事業に尽くし、わが国の隆昌と 安泰の為に偉大な功績をのこされた。天智天皇八年(六六九)内大臣に任ぜられ 藤原の姓を賜り人臣最高の位大織冠を授けられ、同年十月十六日薨ぜられた。 白鳳七年(六七九)、公の長子定恵は、この多武峯の山頂に父の墓を造り、十三重塔を建て 父の御霊を弔った。のちに大宝元年(七〇一)、方三丈の神殿を建立し、御神像を奉安 したのが当神社の創祀である。当神社は古来国家鎮護の神、子孫繁栄の神 また全国藤氏一族総氏神として朝野野尊崇をうけ現代に至っている。
旧別格官幣社 例大祭 十一月十七日

−境内由緒より−



談山妙楽寺〔護国院四十坊〕 寺領三千石余
 中大兄皇子〔天智天皇である〕は鎌足大連と共に都の東、倉橋山の峯の藤の花の下で密談し、謀計を巡らして終に逆臣入鹿を討滅した。それでその峯を呼んで談山(かたらいのやま)という。
 祭神 淡山権現〔即ち〕大織冠内大臣鎌足公である。(以上『国花記』による)
 鎌足公は〔姓は〕中臣氏、〔名は〕鎌子連、天津児屋根命の苗裔である。〔皇極天皇の時〕諸皇子と相議し、入鹿父子を亡ぼした。天下静謐の功はひとえに鎌足の力である。〔孝徳天皇は〕錦冠を賜り内大臣に任じ、百官の上に置いて天下の政を執らせた。〔天智天皇八年(六六九)の冬〕微疾に罹ると、天皇は行幸して病いを問うた。また、皇弟〔のちに天武天皇と号する〕を鎌足の第に遣わし、中臣氏を改め、始めて藤原氏とした〔住居の地名である〕。大織冠の官に昇り〔この官正一位相当〕、同年十月十六日薨じた。天子は行幸して激しく泣かれた〔年五十、あるいは五十六という〕。摂州阿威山に葬る。時に長子定恵和尚は唐にいたが、帰朝して不比等に、亡父遺言の夢想があり、尊骸を談峯に改葬したい、と言って、詔を奉じて社を建てて祭った〔本姓中臣氏は意美麻呂(おみまろ)が相続して神事祭礼を主らしめた〕。
 十三重塔 定恵和尚の在唐中に唐の清涼山の宝池院の塔を摸して作った。廟窟の上に立てる〔治承元年(一一七七)再興〕。
 鎌足公の像 江州の高男丸が作る。また、検校千満法師がさらに新像を作り、古像を中に籠めた。〔右脇〕定恵和尚。
 神階正一位勲一等〔もし天下に変あらんとする時には(大職冠の)神像が破裂することがある。勅使が来て宣命を読むと治った。古例も少なくない〕。

−『和漢三才図会』−



談山神社縁起
藤原鎌足公は、現・高市郡明日香村小原(おおはら)に推古天皇二十二年(614)誕生され、姓は、中臣、幼名を鎌子と称した。長じて性仁孝、聡明にして誠忠の心を懐き、学問を好んで広く智識を求められた。法興寺の蹴鞠会において中大兄皇子(後の天智天皇)の知遇を得、やがて国家改革の大業につながるのである。『多武峯縁起』によれば、「中大兄皇子、中臣鎌足連に言って曰く。鞍作(註・入鹿)の暴逆をいかにせん。願くは奇策を陳べよと。中臣連、皇子を将いて城東の倉橋山の峯に登り、藤花の下に撥乱反正の謀を談ず。」と記されている。この談合により、皇極天皇四年(645)飛鳥板蓋宮大極殿にて蘇我入鹿を誅戮し、中央統一国家及び、文治政治の完成という歴史的偉業をなしとげられたのである。
天智天皇八年(669)十月鎌足公は、その偉大なる生涯を閉じられる。齢56。薨去の際、天皇より藤原の姓を賜わり、大織冠内大臣という人臣最高の位を授けられたのである。御墓は、はじめ摂津国阿威山に造られたが、父の死を知らず唐の国にあって専ら仏教を学んでいた長男定慧が、天武天皇白鳳七年(679)に帰朝し、弟不比等と相談のうえ、父生前の特にゆかりの深い多武峯に改葬したのである。さらに、十三重塔婆、講堂を建立し、これを妙楽寺と称した。後に、文武天皇大宝元年(701)方三丈の神殿を建て、鎌足公の御神像を安置した。これが当社の創祀である。
後に醍醐天皇は「談峰大権現」、後花園天皇は「談山大明神」の神号を賜り、また宮中からは天下有事のとき神像御破裂、廟山鳴動の異変が起るやその都度勅使を遣わされた。永年に亘り、藤原一門はもとより広く朝野の信仰を集めつつ明治維新に至った。御祭神藤原鎌足公と中大兄皇子とが大化の改新の御相談をなされた本殿裏の「かたらい山」の故事から「談山神社」と名づけられ、明治七年明治天皇の思召により別格官幣社に列せられた。境内には十七棟の重要文化財建造物があり、特に木造十三重塔は世界唯一、総社は日本最古と称せられる貴重な建物である。

−『平成祭データ』−



【 談山神社 】

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