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志筑神社
しづきじんじゃ
兵庫県淡路市志筑天神907
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式内社 淡路國津名郡 志筑神社 |
淡路島の淡路市(旧津名町)にある。
津名港から、宝珠川を北西に2Km遡った天神に鎮座。
志筑天神の交差点から400mほど南西に進むと、
道路右手に参道入口がある。
参道は、車が通れるが狭い道で、鳥居も少し奥にあり、
最初は少し行き過ぎてしまった。
地図を確認しながら、ゆっくりを戻り参道へ車を入れ、
橋を渡って上り坂の突き当たりに境内がある。
参道の左手に、垣に囲まれた巨木が聳えていた。
巨木の根元には石の祠があり、「志筑別神社」の社号標。
当社の別宮だろうか、祭神も同じ、少彦名神。
志筑別神社前の道には、神輿(山車?)が置かれていたので、
祭りの準備をしているのだろう。
境内の案内には、籾巻祭が五月のはじめにあると記されており、
参拝は、四月の終わり。GWのはじめだった。
境内にも、大きく枝を延ばした巨木があり、
比較のために、その根元に車を停めて、撮影してみた。
追記。
この山車のようなものは太鼓台(ふとん太鼓・頂載・千歳楽・ヤッサ・ふとん御輿・布団だんじり等)と
呼ばれるものらしい。
境内の巨木 |
境内の奥に拝殿があり、拝殿の扁額には「天神宮」。
後方の本殿は流れ造。本殿の左右に境内社が一つずつ。
創祀年代は不詳。
社名の「志筑」は、「しづき」と読むらしい。
古来、手間天神や申之宮と称されていた神社。
当地は、平安時代は平家領で、新熊野社の荘園。
鎌倉時代は、一條中納言家の荘園であり、
静御前ゆかりのお宮でもある。
当社の東方数百mに、静御前の墓所があるという。
また、一遍上人が死去する一ヶ月前に、
当社を参拝したことが、「一遍上人聖絵第十一詞書」に書かれている。
式内・志筑神社の論社の一つ。
祭神は、少彦名神だが、
熊野若一王子神、田井の天神、国常立命などの異説もある。
本殿右には、粟島神社。
和歌山の加太神社から勧請されたものらしい。
本殿左には、北野神社。
これは京都の北野天満宮からの勧請。
境内の案内に、神紋は「丸に抱き粟穂」と書かれていたが、
社殿などには、紋を見ていない。
ただ、参道にあった、志筑別神社の石祠に、
それらしき紋が彫られていたので、一応、確認したことにする。
参道入口 | 境内入口 |
参道の志筑別神社と神輿(山車?) |
境内 |
社殿 | 社殿 |
志筑別神社本殿 | 本殿 | 拝殿扁額「天神宮」 |
本殿左の北野社 | 本殿右の粟島社 |
志筑神社由緒記
延喜式の南海道淡路國津名郡九座中の一座(小社)に列し
祈年の國幣に預った古社である。志筑天神・手間天神・申
の宮とも別稱された。創祀の年代は詳らかでないが、平安朝
には平家領神熊野社荘園、鎌倉期には静御前ゆかりの一條
中納言家の荘園であった志筑郷の首座の神社として古来か
ら崇敬をあつめてきた。一遍上人繪傳には、鎌倉中期の名
僧一遍上人(時宗開祖)が、歿前の正應二年(一二八九)に當社に
参詣したことを記してゐる。祭神「少彦名命」は、大國主命
に從って國土經營を果たされた神で、對岸の淡路明神(加太
神社)にも同神を祀り、醫藥・技藝守護の神と仰がれる。
−境内案内− |