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高市御縣神社
たけちのみあがたじんじゃ
奈良県橿原市四条町宮坪761
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奈良県橿原市にある。今井町のそばに鎮座。
境内は狭いが、全体の色調が渋い。
向いのワンルームマンションとの調和が面白い。
当社の鳥居は、伝統的なのか偶然なのか分からないが独特。
基本は神明鳥居だが、両部鳥居のように稚児柱がある。
が、稚児柱は前後にではなく、後ろにのみある変形判だ。
創祀年代は不詳だが、
社伝によると成務天皇の御代に創立。
式内社・高市御縣神社に比定されている古社で、
高市県主に任ぜられた天津彦根命の後裔が祖神を祀った神社。
大和には、幾つかの「御県に坐す神」が祀られている。
延喜式では、高市、葛木、十市、志貴、山辺、曽布の六社。
その中の第一位らしい。
境内 |
社号標 | 本殿 | 本殿 |
高市御県神社 四条町の北部、今井町との境に鎮座。祭神は 高市県主の祖天津彦根命と高皇産霊神。近世に 苔の宮・高県(こけ)の宮・高木(こうき)の宮と称したことから、 「延喜式」神名帳高市郡の「高市御県神社名神大、月次新嘗」 に治定。高市御県神社は大和六処御県神社 の一で(「延喜式」月次祭祝詞)、御県は朝廷直轄領 にあたる。大同元年(八〇六)に神封二戸があて られ(新抄格勅符抄)、天安三年(八五九)一月二七 日、従五位下より従五位上に昇叙(三代実録)、 「延喜式」神名帳によると御県の神のなかで唯一 名神祭にもあずかった。高市県については「古 事記」神代巻に「天津日子根命者高市県主等之祖 也」とあり、「日本書紀」天武天皇元年(六七二)七 月条に「高市県主許梅(こめ)」の名がみえる。所在は明 確ではないが、現曾我町字宮毛説が有力で、現 橿原市の西部地域に推定されたいる。「延喜式」 神名帳高市郡には高市御県坐鴨事代主神社 (現橿原市雲梯町の河俣神社に比定)の名がみえる。 文政二年(一八二九)津田長道の著した「卯花日 記」には、「今井里人高木氏は、世々四条村の人 にして、今は今井に家居す。此家にむかしより 此社の事つかさどる事になりて、別に神主もな ければ、此家より神供灯明のことを物しける。 高木の宮と云也といへり」という記述がある。 −『大和・紀伊 寺院神社事典』− |
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