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都麻津姫神社
つまつひめじんじゃ
和歌山県和歌山市平尾957
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式内社 紀伊國名草郡 都麻都比賣神社 名神大 月次新嘗 |
和歌山電鐵貴志川線伊太祁曽駅から北西へ約1Km。
平尾の町の奥にある。
狭い道の突き当たりに木造の鳥居がある。
参道は、数箇所に倒木があり、用心しながら登ると、
雑草の中に、コンクリートの本殿。
近くに平緒王子があるらしく、平尾の地名もそこからか。
『紀伊続風土記』では「妻大明神社」、
『紀伊名所図会』では「妻御前社」と記されている。
式内社・都麻都比賣神社の論社の一。
祭神都麻津姫命は、素戔嗚尊の子であり、五十猛命の妹神。
素戔嗚尊が全身の毛を抜いて木々とし、
兄姉神達(五十猛命・大屋津比賣命)と植えたとある。
本来は、日前国懸神宮の鎮座する秋月に鎮座していたが、
垂仁天皇十六年、山東の地、亥の杜に伊太祁曾神社と共に遷座された。
さらに『続日本紀』によると、大宝二年二月、
伊太祁曾神社の五十猛命・大屋都姫命・都麻津姫命の三神を分離。
都麻津姫命は分祀されて、現社地に遷されたという。
入口に式内の社号標 | 鳥居 | 参道 |
境内 |
御鎮座の由来は、日本書紀神代巻上に「時素戔嗚尊子號五十猛命。妹大屋津姫命。次抓津姫命。凡此三神
亦能分布木種。即渡奉紀伊國。」とある。續日本紀に「文
武天皇大寳二年己未。是日分遷伊太祁曾、大屋都比賣、都
麻津比賣三神社。」とある。 境内六段九畝二五坪であるが、『紀伊續風土 記』には「境内周二町半許り、妻御前ともいへり。按ずる に和名抄郷名に載する所、妻神戸の地なる故に妻都比咩一 座を斎き祀れり、寛永記に正月朔日十月初亥十一月初己に 毎年伊太祁曾の社人出仕し御供を備へ來れり。古は社殿も 荘巌にして面行七尺八寸、妻行七尺三寸檜皮葺なりしに天 正の兵亂に破滅せらる。其後羽柴秀長朝臣再興して社領も 三段寄られしに今は皆廢して僅に舊跡を存するのみといへ り。」と記載されてゐる。 境内に元文五年(一七四○)の石燈籠二基あり。 −『式内社調査報告』− |
【 都麻津姫神社 (平尾) 】