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今宮神社
いまみやじんじゃ
京都府京都市北区紫野今宮町21
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京都市北区紫野にある。
京都では有名な神社の一つ。
境内の社殿は、渋くて地味な色調だが、
楼門は鮮やかな朱。
平安遷都以前から、当地で疫神として素盞嗚尊を祀っていた神社。
正暦五年(994)、一条天皇が国内に疫病が流行した時、船岡山にて御霊会を執行。
再度疫病の災いが起こった長保三年(1001)御霊夢により紫野の現社地に社殿を建立。
その際、祭神を三柱とし、新しい宮として社名を今宮とした。
当社の「やすらい祭」は有名で、民俗無形文化財になっている。
「太秦の牛祭」「鞍馬の火祭」と合わせ、京の三奇祭とも呼ばれるらしい。
門前で売られている厄除けの「あぶり餅」はお勧めだ。
神紋は、三階松。疫社には八坂神社と同じ木瓜(五瓜唐花)がついていた。
二月の京都、時刻は午後5時前。境内の提灯に灯がともった。
楼門 |
拝殿 | 境内、提灯に灯がともった |
境内社殿 |
本殿の左手に疫神社 素盞嗚尊 | 本社社殿 |
境内 |
境内左手の織姫神社(栲幡千千姫命) 西陣織の神様 | 若宮社・紫野斎院 |
紫野稲荷社 宇賀御魂命 | 大国主命・事代主命・住吉・八幡 熱田・香取・鏡作・諏訪 |
紫野大将軍社 牛頭天王 |
月読社 | 地主社 |
宗像社 | 調べていない 社前に「今宮社」灯籠 | 日吉社 |
参道横には、茶屋さんが並んでいて、
店頭で、あぶり餅を焼いている。
寒い時期の参拝には、一息ついて生き返る。
お茶とあぶり餅 |
今宮神社由緒略記
当社地は昔から洛北七野(内野・北野・平野・萩野・蓮台野・紫野・上野)の一つで、朝廷の禁野として御猟又は遊覧の野原であったと伝えられます。御祭神に大国主命・事代主命・奇稲田姫命を、又摂社に素盞烏命をお祀りしております。往昔、正暦5年(西暦994年)一条天皇は邦内に疫病が流行しました時とくに神輿をお造らせになり船岡山で御霊会を行わせられましたが、後に再び疫病の災いが起こった長保3年(西暦1001年)御霊夢により紫野の今の地に木工寮修理職に命じて神殿をまた内匠寮に命じて御神輿をそれぞれお造らせになるとともに、勅して祭祀を盛んに修せしめられてをります。これが「今宮祭」の起源でありまして「四方の人来り詣ずる者幾十萬なるを知らず」と伝へられてをります。また、都下の男女歌舞粉粧して鎮花祭を行ったのは今の「やすらい祭」の濫觴であります。爾来今宮神社への歴朝の御崇敬は厚く、後宇多天皇の御世には正一位の神階を奉られ、また往古より年々神馬三頭を献上されるなど奉幣、献物の礼を欠かせられることはなかったと云はれてをります。足利義晴将軍は社殿を修復し、豊太閤は聚楽第が今宮神社の産土地にあることで、秀頼公の出生に当り、御旅所を再興し御幸道を改修し、神輿を寄進されていますが、とりわけ徳川五代将軍綱吉公の時、その生母桂昌院殿は西陣の出で当社の産子であった由緒もあり、元禄7年時の奉行に命じて本殿摂社その他の殿舎を御造営されたのであり、以来神威愈々顕われ、祠学巍然として今日に至って居ります。−『平成祭データ』− 旧府社。祭神は大己貴命・事代主命・稲田姫命を祀る。今宮、紫野社、また、紫野明神とも称す。疫癘の神であるという。(中略)今宮祭りは一名、夜須礼祭と称された。すなわち京中の児女が風流をつくして、「やすらいはなや、やすらいはなや」と唱えながら笛鼓を打ち鳴らして当社へ参詣するのである。 −『神社辞典』− 大将軍については、雑記『王城鎮護・大将軍』を参照。 |
【 今宮神社 】