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佐々伎神社
ささきじんじゃ
兵庫県豊岡市但東町佐々木482
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兵庫県豊岡市(旧但東町)にある。
出石川の側にある但東総合支所の南東5Kmほどの佐々木に鎮座。
482号線出合交差点から426号線を南東へ1Km、
そこから南に分岐して、佐々木川に沿って走る道を走ると
道路の左手(東側)に境内がある。
が、車道からは境内は見えず、少し奥まった場所にある。
「佐々木集会所」の建物の前が境内入口。
階段を上ると、左手に鳥居があり、
鳥居をくぐり、さらに階段を上った丘の上が境内。
正面に社殿があり、
拝殿の後方に、流造の本殿がある。
本殿はブルーシートで保護されており、
拝殿を覗くと、奥の本殿は青い光に包まれていた。
一瞬、アクアな雰囲気、という感じではあるが
横から見ると、醒める。
参拝は、GW、曇天の休日の朝。
境内は、まだ暗く、写真も暗めだ。
古い資料には、雀岐大明神、雀岐社と記されており、
二宮大明神とも称される神社で、
式内社・佐々伎神社に比定されている古社。
崇神天皇十一年、
道主命と比奈良岐が談合して
大己貴命と少彦名命を祀る社を創建したのが当社のはじめ。
一説には天平十九年三月
出石小領に任じられた佐々貴山君が、祖である大彦命を
佐々貴山に祀ったのがはじめであるという。
また、桓武天皇延暦三年六月
出石大領に任じられた佐々貴山君波佐麻が
その祖・佐々貴山命を射坂之丘に祀ったとも。
さらに、但馬国開拓の祖・少彦名神を祀り
大彦命の裔である高橋臣および同族の佐々木山公の
居住地であったため、祖神大彦命を合祀して
二宮明神と称したとも。
二宮と称した理由について「出石藩舊記」には、
雀岐大明神(佐々伎神社)と須流大明神を
一社にまとめて二宮大明神としたと記されている。
この須流大明神が式内社・須流神社である可能性はないのだろうか。
社殿の左手に境内社が幾つかある。
『兵庫県神社誌』には、境内社として
八幡神社・稲荷神社・三柱神社の名前が記されている。
神紋は未確認だが、『神社名鑑』には
「くわい」と書かれている。慈姑のことだろうか。
だとすると沢瀉紋に似た形だと思う。
でも、未確認なのだ、残念。
ところで、社殿の前に、観光地でよく見かける
顔を出して写真を撮る看板が置いてあった。
神主や巫女の装束で、サイズは子供用。
やや暗い参道の階段を、一段一段上って、
徐々に社殿が見え始めると、突然、社殿の前に、
平安貴族装束の子供が現われたようにみえてかなり驚いた。
というかビビッて、一瞬、凍りついた。
境内入口 | 鳥居 |
参道 |
境内 |
社殿の前に顔出し看板 | 社殿 |
境内社 | 本殿 |
拝殿から本殿 |