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阿牟加神社
あむかじんじゃ
兵庫県豊岡市森尾字アンガ
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兵庫県豊岡市にある。
豊岡駅の南東6Kmほどの森尾に鎮座。
神美小学校の近くにある森尾口の交差点から
東へ1Kmほど入った場所。
集落の中の狭い道をひたすら東へ向かうと
道は行き止まりになるあたりに、
「村社 式内阿牟加神社」と刻まれた社号標が建っている。
この周囲は鹿除けのための電線が道に張られている。
豊岡市の別の場所で聞いたのだが
昼間は電気を流さないことが多いらしい。
でも、怖いので注意しながら奥へ進む。
社号標からまっすぐ東へ延びる草の道が参道。
2〜300mほど進むと、境内らしき空き地に到着。
入口には、鳥居が建っていたと思われる基礎部分もある。
山麓にある境内の北側(山側)に階段を上った場所に祠。
祠の中に、小ぶりの本殿が鎮座している。
『式内社調査報告』によると
昭和38年、当社は廃絶されており、
森尾集落の地下神社に合祀されているらしい。
合祀から40年以上経過している現在も
このように社殿が残っており、
参道の草も刈られていることから
それなりの祭祀・信仰が継続しているのだろう。
集落の奥にひっそりとたたずむお宮というのは
静かに落ち着いた雰囲気が漂って良い感じだ。
創祀年代は不詳。
『神社考』に、
「森尾村ノ奥ヨリ小野村ニ越ル坂ヲあむか嶺トイフ、
其ノ麓ニ小祠アリ、土人あむか荒神トイフ」
と記載され、
『神社覈録』に、
「森尾村に阿牟加谷と称する地あり、其地に阿牟加神社あり」
と記載されており、式内社・阿牟加神社の論社となっている。
祭神は、『姓氏録』に
「奄我(アンガ)は天穂日命の後なり」
とあることから天穂日命とする説がある。
あるいは、安牟加首の祖・物部十千根命とも。
また、天湯河板挙命とする説もある。
『日本書紀』垂仁天皇二十三年によると、
垂仁天皇の皇子・誉津別王は、
30歳になっても言葉を喋らなかったが、
ある日、空を飛んでいる鵠を御覧になり、
初めて何物であるかと仰った。
天皇は大いに喜ばれ、天湯河板挙命にこの鵠の捕獲を命じられた。
天湯河板挙命はこれを追い、出雲で捕えたとも
当地、但馬で捕えたとも伝えられ
その功績によって、鳥取造の姓を賜ったという。
ゆえに、鵠を捕獲した網に因み
阿牟(網)加(郷)の地名となったという考え。
阿牟加神社社号標 |
参道 | 祠 |
境内 |
祠 | 内部に本殿 |
『式内社調査報告』によると
昭和38年に、森尾集落が祭祀していた
阿牟加神社・清峯神社・地下神社の三社を
森尾集落内の地下神社に合祀したらしい。
ただし『平成祭データ』には
森尾集落に清峯神社しか存在していない。
森尾口から当社へ向かう道の途中にあった神社が
その神社だと思うのだが、社名は確認できなかった。
『式内社調査報告』に従うならば地下神社だが、
『平成祭データ』に従うなら清峯神社ということになるが
何れにしろ阿牟加神社と合祀されているので同じこと。
その神社には、拝殿の奥に3つの社殿があり
2つは境内社のように横向き。
この横向きのどちらかが、今の阿牟加神社だと思う。
阿牟加神社が合祀されている?清峯神社 |
境内 | 社殿が三つ |