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御蔭神社
みかげじんじゃ
京都府京都市左京区上高野東山207
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式内社 山城國愛宕郡 出雲高野神社 |
京都市左京区にある。
叡山電鉄終点、八瀬駅から高野川を越えて南の山の中に鎮座。
高野川沿いに西へ続く道の途中に赤い鳥居があり、
参道の山道を歩くと、雪煙の中に社殿が鎮座。
季節のせいかもしれないが、シンシンと静かに降る雪のなか、
荘厳な神域に、感動すら覚える。
鎮座地は、鴨大神が降臨された場所と伝えられ、
御生山と呼ばれており、東山三十六峰第二の山
天武天皇六年(677)、山背国司が造営したと伝えられる賀茂神宮は、
当社であるという説があるらしく、
この地は、古代から山背北部豪族の祭祀の中心地であり、
周囲には数々の遺跡が存在する。
現在の社殿は、元禄六年(一六九三)、御本宮式年遷宮の際に造替された。
それまでは、現在の本殿北東の麓に鎮座していたが、
地震等の災害によって社殿が埋没したため現在地に遷座されたらしい。
鳥居 |
参道 | さらに参道 |
社殿 |
御蔭神社
この社地は、太古鴨の大神が降臨された所と伝えられているところ
から御生山と呼ばれており、東山三十六峰第二の山である。さらにまた、太陽のただ射す所、即ち、御蔭山とも呼ばれ それに因んで社名ともなった。 御祭神は、御本宮賀茂御祖神社の御祭神の玉依媛命、 賀茂建角身命、二柱の荒魂を奉祀されている。 現在の社殿は、元禄六年(一六九三)、御本宮式年遷宮の 際に造替された。 それまでは、現在の本殿北東の麓に鎮座されてきたが、地震等の 災害に依って殿舎が埋没したため現在の地に御動座になった。 天武天皇六年(六七七)、山背國司が造営したと伝えられる 賀茂神宮は、当神社であろうとの説があるとおり、この地は 古代から山背北部豪族の祭祀の中心地であり、近隣には 数々の遺跡が存在する。 毎年、賀茂祭(葵祭)に先だって、五月十二日には、御蔭祭(御生神事)が 当神社で行われる。当日は、神馬に錦蓋を飾り、神鈴を付け、鉾、太刀、 弓、槍などの御神宝を捧げ持ち、社殿には阿礼(あれ)を掛ける。 数多くの供奉者は葵桂をかざし、本宮を進発した行粧は、この社に 到着する。社前において、午の刻、御神霊は神馬に移御になり、御本宮に 遷御になる。途中、総社における路次祭、御本宮契の神事等が行われる。 朝廷からは、阿礼料や幣が奉献されるなど鴨社創祀の祭とされてきた。 また、神馬の御神前で行われる三台塩(三代詠)を中心とする神事 芸能は、わが国最古の祭儀式を伝えるものとされ、行粧もまた最古 の神事列と伝えられており、葵祭と並ぶ優雅な行粧として 名高く、室町時代に入ると数々の史料に登場する。 現今、道中は交通繁雑のため、やむなく自動車列 とはなったが、当神社、並びに御本宮糺の森での神事は 古儀に依って厳粛に行われている。 賀茂御祖神社
−鳥居横由緒書き− |
【 御蔭神社 】