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浅殿神社
あさどのじんじゃ
滋賀県野洲市比留田693
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式内社 近江國野洲郡 比利多神社 |
滋賀県野洲市にある。
野洲駅の北4・5Kmの比留田に鎮座。
当社の北西1Kmにある兵主大社の境外末社。
ということで、兵主大社から南東へ進み、狭い路地に入ると、
南東向きの境内がある。
境内は砂利が敷き詰められて清い雰囲気。
境内に車を止めるスペースがあるが、
鳥居の中央に車止めが置かれており、
参拝以外の車は駐車禁止の様子。
僕は一応参拝なので、車止めを移動させて、境内に駐車。
境内中央に拝殿があり、後方に一段高く
垣に囲まれた本殿がある。
創祀年代は、不詳。
兵主大社所管二十一社の一。
境内石碑によると、祭神は、事代主神で、
兵主大社祭神である大国主神の子神であるところから、
兵主大社の近くに鎮座するとある。
本来祭神は三神であったが、
鎌倉時代に三神のうち悪王子神を、隣の西河原二ノ宮神社境内に遷座。
建久の頃、源頼朝が当社参拝の折り、
乗馬に異変が生じたので、里人に霊神の有無を尋ねたところ、
当社のことを告げられた。
そこで、頼朝は三神のうち悪王子を、どこかに移すように命じたためだという。
その遷座された悪王子神が、式内社・比利多神社の論社の一つ。
その根拠は、鎮座地名の比留田が、比利多の変化であると考えられるため。
なぜ、浅殿という社号に変ったのかは、
同じく石碑によると、
浅(阿佐)は神の座す場所であり、殿は座(くら)と同義であり、
浅殿は、神の座す神殿の意味であるという。
また、一説に当社・比留田の神は、蛭に悩まされて西河原へ移ったとも。
垣の入口、神門に菊の紋の幕がかかっていた。
それが、当社の紋かどうかは不明。
後に『滋賀県神社誌』を入手し、確認すると
当社の神紋は、亀甲紋らしい。
詳細な図案は不明なので、シンプルな亀甲紋を掲載しておく。
鳥居 | 境内 |
境内 |
拝殿 | 本殿 |
中門 | 本殿 |
浅殿神社御由緒
神名帳考に比利多社在此留田村、又大日本 神祇誌には、比利多神社今在比留田村とあ る。 口伝によれば、祭神の積羽八重事代主神は、 兵主大社の祭神大国主命の子孫であるため、 その社の近くにまつると伝えている。 比利多神社を浅殿と称するのは、降神歌に 「阿波里夜遊姿須止浅表佐奴 阿佐久良弥天津於理万志麻世」 とあり、阿佐にて阿佐久良とも阿佐殿とも 呼称していたと考えられる。よって、久良 すなわち座も殿も共に座す処をさす為、浅 殿と呼ばれた。故に神の座す処を阿佐野と いい、神殿を浅殿というと伝えられる。 −社殿石碑より− |