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兵主大社
ひょうずたいしゃ
滋賀県野洲市五条566

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式内社 近江國野洲郡 兵主神社 名神大 |
滋賀県野洲市にある。以前は中主町と呼ばれていた場所。
野洲駅から北へ約4Kmの五条に鎮座。
中学校の隣に大きな境内があり、国指定名勝の庭園もある大社。
参道入口に大鳥居が立ち、
約300mあるという松並木の参道。
参道には、境外末社の名を刻んだ多くの石柱が立っており、
例大祭の時に、各社の神輿が並ぶのだろう。
参道を歩くと、小川にかかる太鼓橋と朱塗りの鳥居。
更に、朱の楼門をくぐり、砂利の参道を歩くと、
正面に翼廊造の拝殿がある。
拝殿の後方に、垣に囲まれた流造の本殿。
本殿は南東向きのようだ。
境内の西側に広がる庭園には、
心字形の園池と、幾つかの出島。
島の上に赤い祠が祀られていた。
拝殿の右手には、旧護摩堂と両大神宮。
楼門の側には、手洗御前社と乙殿社。
相殿社他の境内社は、本殿のある垣の中(だと思う)。
兵主大神宮、大宝天王社とも称された神社で、
正式名称は、兵主神社かもしれないが、
現在は、兵主大社と称している神社。
社伝によると、兵主神は、景行天皇の御代、
皇子・稲背入彦命により大和国穴師(奈良県桜井市)に奉斎され、
近江国高穴穂宮への遷都に伴い、高穂の宮居近くの穴太(大津市坂本)に遷座。
その後、欽明天皇の御代に琵琶湖を渡り、現在の地に鎮座したという。
兵主神については色々と説があるが、
延喜式神名帳には「兵主」と名の付く神社が19社記載されており、
各地に祀られた重要な神であったようだ。
「延喜式神名帳」記載の兵主神社一覧
(壱岐→山陰→兵庫→大和への移動を思わせるなぁ)
| 大和國城上郡 | 穴師坐兵主神社 | 名神大 月次相嘗新嘗 |
| 大和國城上郡 | 穴師大兵主神社 | |
| 和泉國和泉郡 | 兵主神社 | |
| 参河國賀茂郡 | 兵主神社 | |
| 近江國野洲郡 | 兵主神社 | 名神大 |
| 近江國伊香郡 | 兵主神社 | |
| 丹波國氷上郡 | 兵主神社 | |
| 但馬國朝來郡 | 兵主神社 | |
| 但馬國養父郡 | 兵主神社 | |
| 但馬國養父郡 | 更杵村大兵主神社 | |
| 但馬國出石郡 | 大生部兵主神社 | |
| 但馬國氣多郡 | 久刀寸兵主神社 | |
| 但馬國城崎郡 | 兵主神社 | |
| 但馬國城崎郡 | 兵主神社二座 | |
| 因幡國巨濃郡 | 佐弥乃兵主神社 | |
| 因幡國巨濃郡 | 許野乃兵主神社 | |
| 播磨國餝磨郡 | 射楯兵主神社二座 | |
| 播磨國多可郡 | 兵主神社 | |
| 壹岐嶋壹岐郡 | 兵主神社 | 名神大 |
当社は、兵主十八郷(往古は五十四郷)の総鎮守社であり、
野洲郡の中では、御上神社と当社のみが名神大社に指定されている。
「兵主」の名から、「つわものぬし」の神と解釈され、
鎌倉時代以降、武家の崇敬が篤く、隆盛を極めており、
三十番神の中にも、その名を見ることができる。
また、同じく近江にある日吉大社の影響からか、
当社にも、上七社・中七社、下七社の兵主二十一社が存在しており、
例大祭(兵主祭)には、楼門に上七社の神輿が鎮座するという。
『和漢三才図会』には、祭神・大己貴命に七つの名があるので七社だとある。
七つの名は、大己貴命・大国主神・芦原醜男・八千矛神・国作大己貴命・大物主神・顕国玉神。
兵主神社二十一社一覧 (兵主大社サイトより転載)
| 社名 | 御祭神 | 本地仏 | |
| 上七社 | |||
| 本社 | 兵主大明神 | 大己貴神 | 不動明王 |
| 西河原村末社 | 二ノ宮大明神 | 天児屋根命 | 薬師如来 |
| 堤村末社 | 狩上大明神 | 事代主命 | 毘沙門天 |
| 吉川村末社 | 箭放大明神 | 天少彦命 | 毘沙門天 |
| 安地村末社 | 戸津大明神 | 三穂津姫命 | 虚空蔵菩薩 |
| 小比江村末社 | 箭取大明神 | 手力雄命 | 毘沙門天 |
| 比留田村末社 | 悪王子 | 五十猛命 | 愛染明王 |
| 中七社 | |||
| 五条村末社 | 乙殿大明神 | 稲背入彦命 | 薬師如来 |
| 上津宮 | 不詳 | 隆三世明王 | |
| 聖社 | 不詳 | 地蔵菩薩 | |
| 六条村末社 | 三ノ宮 | 高光照姫命 | 十一面観音 |
| 野田村末社 | 宇佐八幡 | 應神天皇 | 阿弥陀如来 |
| 野田村 | 四ノ宮 | 光照姫神 | 虚空蔵菩薩 |
| 廣田 | 不詳 | 阿弥陀如来 | |
| 下七社 | |||
| 兵主境内社 | 手洗御前 | 罔像女神 | 弥勤菩薩 |
| 今王子 | 不詳 | 薬師如来 | |
| 大行事 | 不詳 | 毘沙門天 | |
| 八宮 | 不詳 | 弁財天 | |
| 井口村末社 | 千原大明神 | 素盞嗚命 | 地蔵菩薩 |
| 須原村末社 | 苗田大明神 | 稲田姫命 | 大日如来 |
| 吉地村・木部村末社 | 悪王子 | 五十猛命 | 愛染明王 |
鳥居 ![]() | 松並木参道300m ![]() |
太鼓橋と鳥居 |
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朱の楼門。左右に七社の名前がある |
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参道横の乙殿社 ![]() | 乙殿社本殿 ![]() |
手洗御前社 ![]() | 参道 ![]() | 参道の幟に神紋 ![]() |
拝殿翼廊 |
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拝殿 ![]() | 旧護摩堂 ![]() |
本殿 ![]() | 本殿横の両大神宮 ![]() |
庭園と園池と祠 |
![]() |
当社の神紋は、亀甲に花菱と亀甲に鹿角の2つ。
亀甲に鹿角については、慶長九年(1604)の
『兵主大明神縁起』によると、
「御祭神八千矛の大神
亀の背に乗り湖上を 鹿の背に乗り豊積の平野を」
渡って来たとの記載があるらしく、境内・社殿のアチコチに見ることができる。
当地域(兵主十八郷)における、当社の勢力は大きく、
今でも周辺に、多くの境内末社が存在する、
例大祭には、各社の神輿が集い、
300mの松並木参道を渡御した後、
太鼓橋前で「鵜の鳥抜き」の所作を行うという。
五条・乙殿神社(稲背入彦命)、野田・八幡神社(應神天皇)、
比留田・浅殿神社(事代主神)、吉地・吉地神社(五十猛命)、
西河原・二ノ宮神社(天児屋根命)、木部・木部神社(素盞鳴命)、
八夫・高木神社(高皇産霊神)、小比江・矢取神社(手力雄命)、
乙窪・牛尾神社(須佐之男命)、
守山市服部・南産土神社(天孫瓊々杵神)、守山市津田・北産土神社(天孫瓊々杵神)、
吉川・矢放神社(天少彦名命)、堤・狩上神社(事代主命)、
須原・苗田神社(稲田姫命)、井口・千原神社(素盞鳴命)、
安地・戸津神社(三穂津姫命)、六条・三ノ宮神社(高光照姫命)、
菖蒲・若宮神社(素盞鳴尊)、喜合・稲荷神社(倉稲魂神)、
下堤・下堤神社(大国主神)、吉川・野々宮神社(天照皇大神)、
比留田・城之神社(事代主神)
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兵主大社は、八千矛神(大国主神・つはものぬし)を景行天皇五十八年に高穂の宮居
に近き穴太祀られ(大津市坂本穴太町元兵主)、欽明天皇(五三一〜五七一)御代に播磨別等
琵琶湖上を渡り大神を奉じて、今の宮域に遷座されたのである。兵主大明神縁起による
と”播磨守資頼”の居館を記している。花山天皇寛和元年(九八五)に正一位を追授せら
れた。源頼朝は特に崇敬を払った。旧国宝(重要文化財)、重要美術品等数多く襲蔵され
ている。 庭園は国の名勝に指定され、苑池は心字形で、東方には石造宝塔のある中島があり、 南から北に向い二つの出島があり、出島の南に四つ(或は五つか)の築山が残ってい る。その築山には夫々三尊石組が見られ、出島とその対岸の端には州浜型で二重護岸 の石組があり、ところどころ池におりる段道がある。鎌倉時代の庭園として極めて貴 重な存在である。 −参道案内板− 当社は景行天皇の御代、皇子稲背入彦命により大和国穴師(奈良県桜井市)に奉斎されたのを創始とする。更に近江高穴穂宮遷都に伴い、宮域近き穴太(大津市坂本)に御遷座になった。その後欽明天皇の御代に琵琶湖上を渡り、現在の地に御鎮座されたと伝える。 延喜式には明神大社に列せられ神階昇叙も著しく、花山天皇より「正一位勲八等兵主大神宮」の勅額を賜っている。中世には、源頼朝・足利尊氏等の武将の崇敬厚く、寄進された武具・甲冑を今に伝えており、更に徳川家よりも社領の寄進を受けるなど、その御神威は広範囲にまで及んであた。 又、当社は古くより旧「兵主十八郷」と呼ぶ周辺地域の総氏神として、住民より心のよりどころと仰がれ、国指定の名勝庭園を始め多くの指定文化財を所有、近年では全国各地よりの参拝者を得て現在に至っている。 −『平成祭データ』− |
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