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近江神宮
おうみじんぐう
滋賀県大津市神宮町1−1
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旧官幣大社 |
大津市神宮町にある。
JR西大津駅の北1Kmほど。
京阪石山坂本線近江神宮駅からは500m。
東向きの境内入口から鳥居をくぐり参道を歩くと、
階段上に、鮮やかな朱の楼門。
楼門をくぐると正面に立派な社殿が建っている。
社殿は、外拝殿を中心とした廻廊に囲まれ、
その中に垣に囲まれて本殿があるが、屋根しか見えなかった。
天智天皇による大津京に位置し、
天智天皇を祀る神社として
昭和15年に創建され、神社としてはかなり新しい。
新しいけれども、山麓に琵琶湖に面する神域は、
青々として瑞々しい雰囲気。
境内右手、廻廊の奥に「禁足」と書かれた井戸がある。
「神井・破備貴井」と書かれ、背後に留宮社という小祠。
瑞穂殿という小祠もあったが、なんだろう。
神紋は「山桜に楽浪」紋。
特に神紋と定められているものではないようだが、
慣例として使用されている紋。
志賀の山桜花弁に楽浪を配しているという。
境内入口 |
鳥居と参道 | 参道 |
朱の楼門 | 境内から楼門 |
外拝殿 |
外拝殿から拝殿 | 社殿 |
神井・破備貴井と留宮社 |
御由緒 天智天皇の御事績は、明治維新に至る
1200年の基礎となり、古く奈良時代から、御歴代の
天皇陛下のなかでも別格の位置におかれ、格別の崇
敬がありました。この1300年にわたる敬仰の歴史の
上に、全国崇敬者の熱誠により、昭和15年11月7日、
天智天皇の古都・近江大津京ゆかりの大津市錦織・
南志賀(現神宮町)の地に御鎮座になりました。 戦後の発掘調査により近江大津京の一角に間違いな いことが確定的になった地です。当時の御社格は官 幣大社。やがて勅祭社(全16社)に定められ、4月20 日の例祭(近江大津京遷座記念日)には宮中より 勅使が差遣されています。 御事績・御神徳 御神名の「天智」とは、天のように広く限り ない智恵の意であり、四海あまねく智恵の光をさしのべたもう 大神であられます。またの御名、「天命開別」とは、神ながら の理想を受けて日本の運命を開き、画期的な新時代を確立、推 進されたことの尊称と拝され、万物の運命開拓の神・開運の大 神と称えられます。 天智天皇の御事績は政治・経済・文化の多方面にわたりますが、 ことに天智天皇6年(667)、都を近江大津京に定めて。わが国 の法律の源である近江令を制定され、国の大本を確立されたこ と、日本最初の官立学校を創設、教育制度を整え学問を奨励さ れたこと、漏刻(水時計)を設け、時刻制度を確立されたこと など、後世に大きな影響を残されました。また、小倉百人一首 の巻頭「秋の田の刈穂の庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」 の御製によって、広く国民に親しまれております。 これらの御事績にあやかるべく、時の祖神・開運の大神、文化・ 学芸・産業の守護神としてあまねく崇敬をあつめています。 −由緒リーフレットより− |
【 近江神宮 】