[HOME] > [神社記憶] > [関西地方] > |
|
多坐弥志理都比古神社
おおにますやしりつひこじんじゃ
奈良県磯城郡田原本町大字多字宮ノ内569
|
||
式内社 大和國十市郡 多坐弥志理都比古神社二座 並名神大 月次相嘗新嘗 |
飛鳥川の東、県道50号線の南にある。
境内は広くて美しく、四棟並んだ本殿も美しい。
境内には多くの末社(小祠)がある。
参拝時に気づかなかったが、
本殿後方に神武塚という小丘があり、祭祀遺跡だと考えられている。
俗に、多神社と呼ばれる神社。
古書には、大社・太社・意富社とも書かれている。
多氏ゆかりの神社で、祭神・神八井耳命は、多氏の祖。
古事記の編者・太安万侶も、多氏の一族だと言われている。
本殿は四棟で、現在、
第一社に神武天皇、第二社に神八井耳命、
第三社に神沼河耳命、第四社に姫御神を祀っている。
ただし、明治の神社明細帳によれば、
第一社・第四社は境内社扱いとなっており、
主神は、神八井耳命と神沼河耳命の二座。
また、別の説では、神八井耳命と神武天皇、
神八井耳命と姫神など、いろいろ。
が、延喜式における、「弥志理都比古」が本来の祭神で、これが神八井耳命。
神武天皇の長子・神八井耳命は、弟である神沼河耳命(綏靖天皇)に皇位を譲ったので
身を退かれたという意味で、「ミツシリツヒコ」という。
あるいは、神八井耳命に「八井」から多くの井を司ると考え、
水神的性格を強調して「ミツシリツヒコ」という。
周囲に摂社がいくつかあり、全部式内社のようだ。
皇子神命神社と姫皇子神社については、
境外摂社とする説、本殿四棟の右殿とする説がある。
鳥居 | 拝殿 |
本殿四棟 |
本殿四棟 |
境内にも多くの小祠の境内社が点在し、
丁寧に各祠に社号を書いた札が付いているのだが、
残念ながら、古くて読めなかった。
『奈良県史』には、境内社として、
熊野神社、住吉神社、春日神社、石上神社、竈神社、八幡神社の名が載っている。
また『明治神社誌料』には、上記の他に、
玉依姫神社、神日本磐余彦神社の名がある。
境内社 | 境内社 | 境内社 | 境内社 |
境内社 | 境内社 | 境内社 |
多坐弥志理都比古神社
(多神社)
祭神 神武天皇・神八井耳命・神沼河耳命・姫御神・太安万侶由緒 社伝によると、神武天皇の皇子神 八井耳命がこの里に来られ、…我、 天神地祇を祀る…という由緒をもつ。 平安時代の『延喜式』にも名がみえ る大和でも屈指の大社である。神八 井耳命を始祖とする多氏によって祀 られ、中世には国民である十市氏に よって支えられた。また、本神社の 南には、古事記の撰録にあたった太 安万侶を祀る小杜神社や皇子神命神 社、姫皇子命神社、子部神社、屋就 命神社の若宮がある。 本殿は、東西に一間社の春日造が 並ぶ四殿配祀の形式をとる。江戸時 代中頃の建築様式をよく残すもので、 奈良県の指定文化財になっている。 なお、本地は弥生時代の集落遺跡 として著名である。 −境内案内より− 当社は神武天皇の第二皇子神八井耳命(多族の祖神)この地に降って天神地祇を祀る・・とあり自ら祭祀者となって,弥生文化の発達とともに大和平野における大規模な稲作農法の開拓者である多族の祭祀(まつりごと)の中心地として,社名にも伺い知ることの出来る水知津彦火(日)知津姫の二柱の神を古くより祀り多族の祖神である神八井耳命また末孫の日本最古の史書古事記,日本書紀簒録者である太安萬侶卿を学業の守神とし,また小子部すがるの命を保育の守神として広く崇啓され,ことに受験期には受験合格祈願の人々でたいへん賑わいます。 また最近 太安萬侶卿の御魂がかつて例をみない1255年ぶりの御出現に依ってその霊威と御名にあやかって(やすらかに,まろやかに)と・・安産祈願,家内安全,交通安全無病息災等諸願成就に近郷近在はもとより遠く各地より参拝の人々が後を断ちません。 −『平成祭データ』− |