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海神社
うながみのやしろ
和歌山県紀の川市神領272
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式内社 紀伊國那賀郡 海神社 |
紀の川市(旧打田町)にある。打田駅から泉佐野打田線を北上し、
紀ノ川広域農道で左折(西行)1Kmほど。
道路脇に石の鳥居が北向きにある。
拝殿は南面しているので、境内には南から入る。
境内の鳥居は、古色であり、脇に木が聳え、なかなか良い。
拝殿両脇に、摂末社が祀られている。
本殿の幕に五三の桐紋があった。紀州は桐紋を掲げている神社が多い。
社伝によると、垂仁天皇の御代、
忌部宿祢が神のお告げによって創祀されたという。
式内社・海神社に比定されている古社。
鎮座地名の神領が示す通り、かっては広大な神領を有していたが
秀吉の紀州遠征のおりに兵火にかかり焼失した。
社名に関して、『延喜式』では、「アマ」と訓がある。
いつの頃からか、「ウナガミ」「ウラガミ」と呼ばれるようになった。
「海神」はもと「浦上」であったとする説もあり、
また、「海神」と「浦上」を兼ねているという説もある。
社前に御鏡池というのがあり、玉の井・天之真名井とも呼ばれたが、
近年、埋められてしまったらしい。
明治六年四月郷社に列し、昭和十七年九月県社に昇格した。
階段を上がると、巨木の脇に鳥居があり、奥行きを感じさせる。
拝殿も、立派で背後の森も良い感じだ。
境内左右に摂末社がまとめて祀られている。
参道鳥居 | 鳥居と境内 |
境内 |
鳥居 | 拝殿内 |
夕方の境内 | 本殿 |
拝殿左手の末社 事代主命・稲荷社・幸神社など | 拝殿右手の摂社 穂高見命・玉依姫命・豊玉姫命 |
式内社 海神社
当神社は豊玉彦命・国津姫命を主
祭神とし垂仁天皇の御代に忌部の宿弥
が神のお告げによって創建したものと伝
えられている。延喜式神名帳に登載されている県 下でも古く名を知られた神社である。 往古から朝廷や多くの人々の尊崇も厚 く神田も現に鎮座する神領をはじめ、北 山の山麓一帯まで神社の領有地であった。 連綿として栄えて来たこの神社も天 正十三年豊臣秀吉が紀州遠征の折、本 殿二柱・供殿・拝殿・神楽殿・宝殿等兵火 にかかり宝物・古記録等ことごとく焼 失してしまった。 明治六年四月郷社に昭和一七年九月 に県社に昇格されたが戦後は社格も 廃止され今日に至っている。 −参道案内板より− |
【 海神社 (紀の川市) 】