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大生部兵主神社
おおうべひょうずじんじゃ
兵庫県豊岡市奥野1
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式内社 但馬國出石郡 大生部兵主神社 |
兵庫県豊岡市にある。
山陰本線・豊岡駅の東6Kmほどの奥野に鎮座。
703号線(永留豊岡線)と160号線が合流する地点から
穴見川を越えて南へ渡った場所に境内がある。
コンクリートの橋を渡ると鳥居があり、
参道を入ると、もう一つの鳥居。
さらに参道を奥へ進むと、広い境内がある。
境内の西側に舞殿があり、
舞殿に向かい合う形で社殿がある。
拝殿は瓦葺・入母屋造、後方の本殿は瓦葺・流造。
砂地の境内の周囲は木々に囲まれ、
車道からは、こんな境内があるとは想像も出来ないだろう。
広く静かで、ゆっくりと穏やかな時間が流れているような
そんな感じ。
参拝は五月のゴールデンウィーク。
入口の鳥居脇には桜の樹があるのだが、
桜も終わりに近づいているのだろう、
わずかに残った桜花と緑の葉が良い塩梅。
参道には桜の花びらが散っていた。
創祀年代は不詳。
一説に、弘仁元年(810)、当地に兵庫を建て
在庫の里と呼ばれて兵主の神を祀り、
兵主神社と称したという。
後に、有庫兵主大明神とも称し、
奥野と穴見市場の二村の産土神であったが、
中古、二村が分離したため、
市場にもう一つの有庫神社を祀るようになった。
延暦二年(1674)本殿を改築、
寛政三年(1791)火災により焼失したため再建された。
式内社・大生部兵主神社の論社の一つ。
祭神は大己貴命だが、異説として素盞嗚尊を祀るという。
また、常陸国鹿島からの勧請とする説もある。
社殿の左右に境内社の祠が二つ。
それぞれに三社が合祀されているようだ。
社殿左の祠には、愛宕神社、秋葉神社、金刀比羅神社。
社殿右には、稲荷神社、皇大神宮、有庫神社。
川側の社域 | 鳥居 |
参道 | 境内 |
境内 |
社殿 | 舞殿 |
社殿 | 社殿 |
境内左の境内社 愛宕・秋葉・金刀比羅 | 境内右の境内社 稲荷・皇大神宮・有庫 |
創立年月不詳なれども弘仁元年此地に兵庫を建て在庫の里と云ひ兵主の神を祀りて
兵主神社と称せしが神社所在地の地名を冠し俗間に有庫兵主大明神とも称し奥野、
穴見市場の二村の産土神たりしにより一に奥野兵主大明神とも崇めたり中古以来
有庫神社とのみ称し市場村と分離し二社となせし由を伝ふ延喜式の制小社に列し
延寶二年本殿を再造し寛政三年社頭回禄に罹りて再建せり明治初年神社取調の際
豊岡縣に於て大生部兵主神社と確定し同六年十月村社に列し同十二年明細帳提出
の際官簿に有庫神社と記載しあるを発見し同十四年現在名に復称の許可を得たり。 −『平成祭データ』− |
上記にあるように、奥野と市場の分離によって、
いつの頃か、市場にもう一つの有庫神社が創祀された。
奥野の大生部兵主神社は、そのまま残っているので
式内社・大生部兵主神社は、奥野の社ということになるが
分離した有庫神社も、その後継社であると思われる。
市場の有庫神社は、
当社から西へ1.5Kmほどの場所にある。
兵庫県豊岡市市場85
祭神は、武甕槌神・奧津彦神・奧津姫神・軻遇槌神・菅原道眞。
有庫神社としての祭神は、武甕槌神。
つまり鹿島からの勧請ということになる。
菅原道真公は、天神社を、
その他の神々は、荒神社を合祀したもの。
社格は、旧村社。
有庫神社鳥居 |
参道階段 | 神門 |
境内 |
社殿 | 内部の本殿 |
有庫兵主神社の氏子奥野、市場両村紛争して分離の時一社を創建し有庫神社と称せしも
其年月不詳なり後世奥津彦命、奥津姫命、軻偶槌命を祭れる荒神社、及び菅原道真命を
祭れる天神社を合祀せるも是亦年代詳かならず明治十四年十月荒神社、天神社として官
簿に記されあるを発見して現社名に復称せり。 −『平成祭データ』− |