足鹿神社
あしかじんじゃ
兵庫県朝来市八代字宮山229
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式内社 但馬國朝來郡 足鹿神社
旧村社
御祭神
道中貴命
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兵庫県朝来市にある。
播但線・新井駅の西1.5Kmほどの八代に鎮座。
駅から円山川に沿って70号線を南下し
播但連絡道の朝来I.C.方面(西)へ。
神子畑川と八代川の合流点から八代川に沿って北上すると
八代川の西側に、東向きの境内がある。
小川にかかる橋を渡ると、境内入口の鳥居。
鳥居をくぐると、背の高い松並木のある参道。
参道を進むと、広場のような境内。
境内右手には、八代公民館。
境内の奥、一段高い場所に社殿がある。
入母屋造の拝殿の後方には、本殿を納めた覆屋。
本殿は貞享年間に再建された流造らしいが良くわからない。
が、境内に入って、最初に目に付くのは
境内の左手、社殿の前にある大きな欅の木。
樹齢千数百年の古木で傷みがひどいが
大切に保存されている感じだ。
創祀年代、由緒は不詳。
八代大明神とも呼ばれる神社で
式内社・足鹿神社に比定されている古社。
祭神は道中貴命。
詳細は不明だが、案内板によると
平安時代初期、当地に派遣された方だそうだ。
個人的感想としては、もっと古くからありそうな神社なので
本来の祭神は違うような気がする。
円山川を遡ってきたアシカを祀った神社だったら
面白いのに、それはナシカ。
社殿の右手には境内社が二つ。
一つは、三柱神社(軻遇突知命・奧津彦命・奧津姫命)。
もう一つは、平和の宮というらしい。
一般の神社では招魂社と呼ばれているお宮だ。
参道
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鳥居
| 社殿
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境内
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本殿覆屋
| 境内社
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足鹿神社略記
鎮座地 | 但馬国朝来郡朝来町八代字宮山 |
祭 神 | 道中貴命 |
祭 日 | 夏祭 竜神祭 例大祭 | 七月十八日 九月十八日 十月十八日 |
式内社 | 延喜五年(西暦九二七年)醍醐天皇の御代に編纂された延喜式
神名帳に記載されている神社 |
境内の大欅 | 国指定天然記念物 | 昭和三年指定 |
本 殿 | 朝来町指定文化財 | 昭和五十七年指定 |
狛 犬 | 朝来町指定文化財 | 昭和六十年指定 |
蔵王権現 | 一面三目二臂で忿怒の蔵王権現像は以前、堂屋敷にあったが、
現在足鹿神社に合祀されている。また中世からの山岳信仰の
修験道である奥の院松山のお滝には、不動明王が祀られてい
る。
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神社の創立時期については不詳であるが、右に列したように、由緒ある式
内社である。八代川と神子畑川の合流点に近く、また神子畑に沿って宍粟
郡一宮町に通じる道と養父郡養父町建屋に通じる道との交差点近くに位
置し、交通の利便性からも集落の形成に適した地であり、まさに神社の創
立に関係しているものと考えられる。地名も「やしろ」と呼ばれている
ことから、神社と地域とのむすびつきが古くからあったものといえる。現
代においても村の人々の神社への崇拝の念は深く、他地域からの参拝者も
数多い。また村の人々の奉仕により、整備の進められてきた境内地で
は、昔から秋の例祭に綱引きの行事がもたれ、豊作を祈願されているが、
神のお供えものは一般的な餅ではなく、赤飯を供することが昔より受け継
がれている。御祭神「道中貴命」は、平安時代初期に天皇の命により、都か
らこの地方に派遣せられ、この地において政務にあたるなど、功績のあっ
た人として祀られたものと伝えられている。神社正面の参道近くにある梵
鐘は、往時の神仏混淆の名残であり、大東亜戦争の時、拠出されたが、近年再
興の声がたかまり、昭和六十二年秋に再建したものである。覆屋内の本殿
は、貞享年(一六八五年)再建の棟札をもち、一間社流れ造り、こけら葺、唐
破、千鳥風をもつ堂々たるもので、こぶりながら木鼻や蟇股の彫刻とあわ
せて室町時代から江戸時代にかけての神社建築の様式したものである。
本殿内両脇にある狛犬は、木彫彩色のみごとなものであり、江戸中期の作
かと思われる。また境内にある大欅は、東京大学の三好教授の鑑定による
と、高さ約三十メートル、幹回り九・八メートルに及び、樹齢千数百年と推
定されているが、昭和初期以来の境内地拡張工事などで衰退した樹勢の回
復を図るため昭和六十三年以降本格的な保護、保存に努めている。
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−境内案内板より−
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