[HOME] > [神社記憶] > [関西地方] > |
|
木嶋坐天照御魂神社
このしまにますあまてるみたまじんじゃ
京都府京都市右京区太秦森ヶ東町50
|
||
三柱鳥居で有名 |
京福電鉄蚕の社駅前に大鳥居があり、
そこから北へ。幼稚園の隣にある。
境内入口には、白木の鳥居があり、
境内左手には、椿丘大明神と書かれた石碑の奥に、
稲荷神社らしき社など、境内社がある。
その奥にある「元糺の池」の中に、有名な三柱鳥居。
創祀年代は不詳。
当社は、通称「蚕の社」と呼ばれるが、
本殿右に、蠶養神社を祀っているため。
式内社・木嶋坐天照御魂神社に比定されている古社。
社名、木嶋坐天照御魂神社とは、木嶋にいます、天照の御魂の神のやしろ。
この「天照の御魂の神」が誰をさしているのか、
従来から、いろいろと云われているようだ。
対馬に、阿麻氐留神社という、
太陽信仰の神社があるが、関連あるのだろうか。
山城國葛野郡は、壱岐との関連を示す神社が幾つか存在する場所なのだ。
境内左手の元糺の池の中に三柱鳥居がある。
この日は水は無かった。社務所も無人。
境内の左手に幾つかの稲荷社が祀られている。
石を組んだ洞窟のような稲荷社もあった。
参道の鳥居 | 境内入口 |
境内 |
社殿 | 社殿 |
社殿左の境内社 | 養蚕神社 (蚕の社) |
境内社・稲荷社 | 境内社・稲荷社 |
元糺の池入口 |
三柱鳥居 |
木嶋坐天照御魂神社(蚕の社) この神社は、通称「木嶋神社」又は「蚕の社」と呼ばれる延喜式内 社で、天御中主命・大国魂神・穂々出見命・鵜茅葺不合命を祀っている。 「続日本紀」大宝元年(701)4月3日の条に、神社名が記載されてい ることから、それ以前に祭祀されていたことがわかる古社である。 この嵯峨野一帯は、古墳時代に朝鮮半島から渡来し、製陶・養蚕・ 機織などにすぐれた技術をもっていた秦氏の勢力範囲で、当神社本殿 の東側には織物の祖神を祀る蚕養神社(東本殿)があり、「蚕の社」も それにちなんだ社名である。 この神社は、古くより祈雨の神として信仰が厚く、参詣の人も多か ったことが平安時代に書かれた「日本三代実録」や「梁塵秘抄」など の文献からうかがい知ることができる。 社殿は明治以後のもので、本殿・東本殿・拝殿などがあり、社殿を 取囲むように巨樹が繁茂している。本殿の西側には四季湧水する「元 糺の池」という神池があり、天保2年(1831)に再興された京都三鳥居 の一つとされる石製三柱鳥居が建つ。 例祭は、毎年10月10日が行われるが、夏季土用の丑の日には、 この池に手足を浸すと諸病によいという庶民信仰がある。 市内でも最古に属する当神社は、境内 から清泉が湧き、巨樹が繁茂して古来の 姿をよくとどめており、京都発展に大き な役割を果してきた秦氏との関連を含め、 大へん貴重なものとして昭和60年6月 1日に京都市の史跡に指定された。 推定面積11.131㎡ −境内案内より− 天照御魂神社−木島(山城)木島は社の森がコンモリよく茂って島のように見えるからである。天照国照天火明命が祭神である。『姓氏録』山城国天孫に水主直は火明命の後とある。「同国久世郡の式杜水主神社十座の中に天照御魂神坐す。『国造本紀』の丹波国造(中略)も火明命の神裔にて式同国天田郡天照命神社あり、大和及び摂津の天照御魂神社も其の御裔の氏人の住るより祀り来れることを悟るべし(牒)」。以上により、古来から太陽神(天照命)を祀って来た各地の豪族の子孫が、その氏神を式杜として申請し、天照御魂の神社として許可されたことが知られる。それは皇太神宮の天照大神と神名が似ているから紛れないようにと右のような式社名とし、祭神も右の如く決定された。『古事記』では火明命はホノニニギの命の兄である。『日本書紀』には尾張連の遠祖とある。したがって火明命の神裔を祀るのは、番(ホ)ノニニギの命の子孫すなわち天照皇太神の皇孫たる歴代天皇を地方にあって支持し奉るという意味からである。上代は番と穂は清濁共通。 −神名の語源辞典− |
【 木嶋坐天照御魂神社 】