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廣瀬大社
ひろせたいしゃ
奈良県北葛城郡河合町大字川合
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式内社 大和國廣瀬郡 廣瀬坐和加宇加賣神社 名神大 月次新嘗 |
奈良県河合町にある。
西名阪自動車道の法隆寺I.Cから東へ1Kmの場所。
法隆寺駅から大和川を越えて南へ。境内は南北に長い。
境内入口は南にあり、朱の鳥居が立つ。
鬱蒼とした木々の参道を歩くと、
参道左右に幾つかの境内社がある。
垣内の正面に拝殿があり、後方に春日造の朱の本殿。
拝殿の前は一面の砂になっている。
これは、当社の神事「砂かけ祭」によるもの。
拝殿前の広場を田圃に見立て、田植の所作を行なう神事だが、
その時、参詣者は一斉に砂をかけるもの。
創建は、崇神天皇の御代。
廣瀬の河合の里長に、大神の託宣があり、
一夜で沼地が陸地に変化し橘が数多く生えた事が天皇に伝わり、
大御膳神として社殿を建てて祀ったのが創祀。
後、天武天皇の白鳳四年四月十日、
小錦中間人を遣わし、大山中曾根連韓犬と斎主として、
大忌神を祀った。
大和川、飛鳥川などが合流する地点にあり、
水神を祭る神社である。
祭神・若宇加能賣神は、山谷の悪水を良水に変え、
さらに、河川の氾濫を防ぐ神であり、
龍田大社の風神とともに、風水の陰陽神として、
五穀豊穣の神でもある。
当社は式内社・廣瀬坐和加宇加賣神社に比定される古社であるが、
相殿の神々も式内社とする説がある。
櫛玉命は式内社・櫛玉比女命神社、穗雷命は式内社・穂雷命神社。
ともに白鳳十年正月曾根韓犬が勅を奉じて社殿を造営し、
往古は、本殿の左右の別社殿に祀られていたが、
永正三年(1506)兵火にかかり、以後本殿の相殿となったという。
また、摂社・水分神社(水分神)を式内社・於神社とする説もあるらしい。
神紋は橘紋。創祀伝承からだと思う。
境内、あるいは周囲の境内社は以下の通り。
摂社・水分神社、末社・祓戸社、末社・稲荷社(日吉社と日の丸大明神)。
社名のわからない祠があったが、祖霊社だろうか。
摂社・饒速日命社は社家樋口家の邸宅内にあり、
神職以外には公開していないらしい。
摂社・八神殿社は境外にあり、社務所で場所をお聞きしたのだが、
探しているうちに迷子になったのであきらめてしまった。残念。
境内入口の鳥居 |
参道 | 鳥居 |
境内と拝殿 |
本殿 |
境内西側の「ひろせばし」 | 摂社・水分神社 |
末社・祓戸社 | 祖霊社? |
日吉社 | 日の丸大明神 |
広瀬杜 河合村にある。 祭神一座 和賀宇加売命 摂社 大宮殿 級長津彦命〔小折社一座・火神社一座〕 天武天皇四年(六七五)、大山中曾禰連韓犬を遣わし大忌神を広瀬川の曲に祀らせた。この神は伊弉諾・伊弉冊二神が風神〔竜田〕を生み、飢えんとした時生れた神で、倉稲魂命というのがこれである〔水神であり、竜田と同体〕。神位、祭礼も竜田と同じ。 (『国花記』による)
−『和漢三才図会』− 広瀬神社由緒書 祭神 主神 宇加能売命。相殿 櫛玉命 。穂雷命。 主神若宇加能売命は、別名を、豊宇気比売大神(伊勢外宮)宇加之御魂神(稲荷神社 広瀬大忌神とも呼ばれ、総て同神である。龍田風神(龍田大社)と深いご縁がある 神徳 広瀬神社の鎮座地は日本書紀に「広瀬乃河曲」、延喜式祝詞には「広瀬乃川合」ときされており佐保川は初瀬川飛鳥川曽我川葛城川高田川等大和盆地を流れる総ての河川が一点に合流する地に祀られていることから、御主神は水の守り神で山谷の悪水を良水に変え河川の氾濫を防ぐ神であり風雨を調和し苗稼を浸潤して、五穀の豊穰を守ることから朝廷を始め万民の食物を守る御膳神である。又広瀬は、屋船豊受姫神ともよび家屋を鎮め奉る宅神で養蚕をも守る神として古来より崇敬が厚い。五穀豊穣、水難鎮護、産業興隆、河川交通安全、安産、除災招福等、多方面に渡る御神徳がある。 創建 崇神天皇九年(前八九年)、広瀬の河合の里長に御神たくがあり、一夜で沼地が陸地に変化し橘が数多く生えた事が天皇に伝わり、この地に社殿を建てまつられれる様になる(当社延喜)。日本書紀天武天皇四年四月十日(六七五年)には、小錦中間人連大蓋を遣わし、大山中曾根連韓犬を斉主として、大忌神を広瀬の河曲に祭られた事が記されていて、これが毎年四月四日に行われた大忌祭の始まりと伝えられる。 −『平成祭データ』(原文ママ)− |