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橿原神宮
かしはらじんぐう
奈良県橿原市久米町934
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奈良県橿原市にある。
畝傍山の麓。
神武天皇が即位した橿原宮跡に鎮座。
橿原神宮前駅から参道が北西に延びている。
創建は明治二十三年四月二日。
紀元二五五〇年にあたり、明治天皇によって創建された。
社殿は京都御所の温明殿(うんめいでん)
および神嘉殿(しんかでん)を下賜されたもの。
境内には、橿原神宮造営以前からの当地の地主神・長山稲荷社がある。
明治以前は「橿原宮跡」として知られていた。
手水舎 | 南門 |
一般参拝の社殿 |
奥の社殿 本殿の屋根が少し見える |
長山稲荷社参道 | 長山稲荷社 橿原神宮鎮座以前からの地主神 |
畝傍山が背景 |
大正から昭和にかけて活躍した鳥瞰図絵師 吉田初三郎の 「橿原神宮」 |
もう一つ 「橿原神宮畝傍山東陵境域並橿原道場之図」 |
橿原神宮略記 御祭神 神武天皇 媛蹈鞴五十鈴媛皇后 神武天皇は天孫・瓊瓊杵尊より四代目、第一代の天皇に当り、神日本磐余彦火火出見天皇とも申し上げます。天皇は天孫降臨の地日向高千穂に在って、今の九州地方を治めておられましたが、まだ豊葦原瑞穂国(日本の古名)の多くが平らかにならず、村々は争いあい人々は文明に遠く、産業も興らぬのを見られ、国の中心たる大和(現在の奈良地方)を美し地と定め、天の下の政治を行うべく東遷の途に立たれました。途中幾多の困難に遭われましたが、ついに「荒ぶる神等を言向け平和し、伏はぬ人等を退け撥ひて」橿原の宮に即位の礼をあげ給い、米作りをはじめ多くの産業を興し、正しきを養い、国の基をたてられました。皇后・媛蹈鞴五十鈴媛命は事代主命(古事記には大物主命)の御娘に当る方です。 創建由来 明治維新の王政復古の大号令の中に「諸事神武創業の始にもとづき」というお言葉があります。この理想も欧風化の波にのまれつつあるなか、明治二十一年、橿原宮跡の考証が成り、地元民間有志より神武天皇をまつる神社の創建の請願がおこりました。明治天皇にはこれを深く嘉賞せられ京都御所の賢所と神嘉殿、また多額の御手元金をも下されました。明治二十三年四月二日、地元民挙げて奉迎するなか、御勅使参向になり、御鎮座祭が執り行われ、官幣大社橿原神宮の創建が成ったのでした。「教育勅語」渙発も、この同じ年十月のことです。 明治天皇御製 橿原の とほつみおやの 宮柱 たてそめしより 国はうごかず 橿原の 宮のおきてに もとづきて わが日の本の 国をたもたむ 祭祀 当神宮では数多くの祭典が行われていますが、最も重要な祭典は例祭の紀元祭です。二月十一日、勅使ご参向のもと、建国創業の昔をしのぶ全国の崇敬者の奉賛により、年々盛大に執り行われています。また四月三日の神武天皇祭は、古くから「神武さん」と親しまれ近郷からの多くの参拝者で終日社頭はにぎわいます。 歳旦祭 一月一日 元始祭 一月三日 紀元祭(例祭)二月十一日 祈年祭 二月十七日 春季大祭 御鎮座祈念祭四月二日 神武天皇祭 四月三日 奉賛感謝祭 四月二十九日 秋季大祭 十月三日 新嘗祭 十一月二十三日 天長祭 十二月二十三日 月次祭 毎月一・十一・二十一日 −『平成祭データ』− 橿原神宮 奈良県橿原市久米町。 旧官幣大社(現、別表神社)。祭神は神武天皇。同皇后媛蹈鞴五十鈴媛命の二柱。明治八年(一八七五)奈良県は教部省に対し、神武天皇即位の地である畝火山東南の橿原宮の旧地に神宮創建の請願に及び、同二一年橿原宮の旧跡の考証成り、同二二年仰せ出された。明治天皇は、社殿として京都御所の内侍所及び神嘉殿を奉献され、同二三年橿原神宮の宮号を宣下し御鎮座。時あたかも神武天皇即位紀元二五五〇年に当たる。その後、昭和一五年紀元二六〇〇年記念事業として境内地、社殿及び付属建物が整備拡充され、雄大かつ荘厳な現在の規模に改められた。例祭は二月一一日の紀元祭で、勅使の参向がある。その他、主な祭典として四月三日=春季大祭、一〇月三日=秋季大祭があり、参拝者で社頭は殷賑を極める。境内隣接の橿原森林植物園は同一五年に全国各地から奉献された樹木三五〇種に及び、我国の森林植物の三分の二を占めるという。本殿(旧内侍所)・神楽殿(旧神嘉殿)・文華殿(旧柳本藩の大書院・玄関を移築した織田屋形)は重要文化財に指定されている。−『神社辞典』− 橿原宮跡橿原宮畝傍山の東南にある。葛上郡と高市の境である。 神武天皇が始めて本朝の国土を治めて宮都をここに造られた。 −『和漢三才図会』− |
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