[HOME] > [神社記憶] > [関西地方] > |
|
村山神社
むらやまじんじゃ
京都府亀岡市篠町森山先34
|
|||
京都府亀岡市にある。
亀岡駅の南東3Kmほどの篠町森山先に鎮座。
9号線が西川と交わる西川橋の西詰から南に入ると境内がある。
境内入口は東向き。
石鳥居の扁額には「正一位村山大明神」とある。
鳥居の脇に「延喜式内村山神社」と刻まれた社号標が立ち、
社号標の横に案内板が立っている。
鳥居をくぐり参道を進むと、
右手に手水舎があり、参道奥に池がある。
この池で参道は二筋に分かれ、参道階段を登ると
二筋の参道の間に拝殿がある。
さらに参道を進み、二筋の階段の上に当社の本殿と八幡宮。
一つの板垣の中に、同じ形式の社殿が二つ並んでいる。
向って左手の社殿の屋根には橘紋らしき紋が付けられており
右手の社殿の屋根には木瓜(あるいは五環)に三つ巴紋があったので
左が当社本殿、右が八幡宮だと思い込んでいたが
『式内社調査報告』によると、右が当社の本殿らしい。
本殿祭神は大山祇命と 木花開耶姫命で、
いわゆる松尾系列、あるいは梅宮系列だと思われるし
梅宮大社の神紋は橘紋なので、
本殿に橘紋、八幡に巴紋があるべきだと思うのだが。
社殿の背後に参拝順路が続いており
登って行くと400坪の禁足地がある。
祭神が天降った聖地なのだそうだ。
創祀年代は不詳。
同じく篠町にある桑田神社祭神と同じく、
当地の泥湖を干拓した神を祀った神社と伝えられ
式内社・村山神社に比定される古社。
もとは明神岳山頂に鎮座していたという。
往時の広大な社域であったが兵火で焼失し
応永二十七年(1420)、国恩寺の雑掌であった
渡辺六郎頼方によって再興された。
参道や社殿の脇、禁足地の参道などに
境内社が幾つも祀られているが詳細は不明。
社殿左手の境内社には、稲荷神社、天満宮、
大国主乃命、野々神社、愛宕神社の名前が記されていた。
社頭 |
鳥居と社号標 | 参道と手水舎 |
池と拝殿 |
本殿と八幡宮 |
八幡宮 | 本殿 |
八幡宮 | 本殿 |
裏山禁足地と参拝順路 |
村山神社(延喜式内社)
もとの社域は広かったが、兵火により焼失、応永二十七年(一四二〇) 当時国恩寺の雑掌であった渡辺六郎頼方が社殿を 再興したと伝えられる。 裏山には神霊の天降る聖地として重んぜられた禁足地が残 されている。又、禁足地に隣接してつつじの名所として親しま れている「森の公園」がある。 篠町西部地域の氏神・産土神として昔から集落の人々 をはじめ、近年開発された住宅団地や東つつじヶ丘、西つつじ ヶ丘、南つつじヶ丘の人々の崇敬を集めている。 −社頭案内板− |
【 村山神社 (亀岡市) 】