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矢川神社
やがわじんじゃ
滋賀県甲賀市甲南町森尻310
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式内社 近江國甲賀郡 矢川神社 |
滋賀県甲賀市にある。
甲南駅の北西1Kmほどの甲南町森尻に鎮座。
四号線の矢川橋西交差点から東(128号線)へ入り、
杣川にかかる矢川橋を渡ると、参道入口がある。
入口右手には「式内矢川神社」と刻まれた社号標があり、
左手には「勝手大明神元境内趾」の石碑。
参道を進むと、鳥居があり、200m近い参道を進むと境内。
境内前には、石の太鼓橋がかかっており
階段を上ると、茅葺の楼門。
通常、楼門とは二階建以上の構造だが、
残念ながら、当社の楼門は一階部分のみ。
案内によると、この楼門は文明四年(一四七二)
大和国布留郷五十余村から雨乞いの返礼として寄進されたもの。
当初は二階造りだったが、文禄年間の大風で、
上階は組物より上を失ったらしい。
つまり四〇〇年以上、上階部分が欠損していることになる。
歴史を後世に残すという点では、一階だけの方が面白いが、
再建するという話は出なかったのだろうか。
楼門をくぐると、綺麗な砂利の境内。
境内の奥に拝殿があり、
その後方に、少し離れて大きな流造の本殿がある。
参拝は年末の休日なので、
境内中央には、左義長のための丸太が組まれており
本殿前には角松が飾られていた。
創祀年代は不詳。社伝によると、
天平宝字六年、杣川中流の矢川津の地に鎮座と伝えられ、
式内社・矢川神社に比定されている古社。
杣川流域二十二ヶ村開拓の祖神と仰がれ
杣一ノ宮とも称され、中世を通じて
甲賀五十三家を中核とする連合自治組織である
甲賀郡中惣の参会が、しばしば当社で開催されたという。
また、当社は請雨に霊験があるとされ
「甲賀の雨宮」として内外に知れ渡っており、
境内入口の楼門も、
その雨乞いの霊験に対する返礼として寄進された。
一時期、荒廃していたが、
江戸時代には水口藩の崇敬社となり復興。
矢川の森から響く鐘の音は「水口八景」の一つ、
矢川の遠鐘として親しまれていたが、
天保十三年(1842)十月十四日、
この鐘を合図に数千の農民が当社に終結。
幕府の検地に反対して、近江天保一揆(甲賀騒動)が起こったという。
承応元年(1652)、境内にあった勝手大明神が新宮村に遷され
杣ノ荘内九箇村が、当社の氏子となり、
三寺村・三大寺大明神社(現日吉神社)に六箇村の氏子が引き別れ
以後、この十五箇村は、外氏子と称するようになったという。
境内の左手に、杉や檜の境内林があり、
境内社を探しながら、ゆっくりと散策。
境内石碑には、この林の中、
弁天池に池ヶ原神社があるということだが見当たらない。
林の北西はずれに池があり、中央部分に何かが祀られていた形跡があるのだが
これが池ヶ原神社なのだろうか。
参道入口 |
勝手大明神元境内趾 | 鳥居 |
太鼓橋 |
楼門 | 拝殿 |
本殿 |
本殿 | 本殿 |
境内林 | 弁天池? |
−境内石碑より− |